『多様なる価値観で包容する』
人の好意を素直に受けない、受けられない人が居るのは、情けなくなる感があります。
ワシなんかは、例え見知らぬ人からの行為(贈り物とか)に対しても、
ちゃんと事情説明が、手紙であり、口頭であり添えられていれば、
相手が『好意』でしてくれているのか、そうでないのかは、分かるんだけどねぇ。
以前にメッセージした『神様が、お客さんという形で来てくれている』という捉え方をしたら善いのに。
とワシなんかは思う訳です。
まぁ、自分の価値観と全く異なった対応に遭遇しても、新たな学びとして捉えるようにしておるんです。
多様なる価値観を包容する包容力の強化で、自分の人間の幅が拡がるという捉え方をしているからです。
自分の哲学を深め人間の器を拡げるのは、
如何に過去まで遡って自分を見つめられるかと、併せて如何に将来を見渡す眼を持てるかということ。と、
自分の価値観には合わない価値観をも、包容出来るか、なんです。
これを哲学的に言うと『時間的拡がり』と『空間的拡がり』を、人間の器と言います。
時間的とは、自分の過去、前世まで想像して自分は何を役目として歩んでいたのか?という自覚をした上で、
どういう将来を描くのか?という時間的拡がりです。
空間的拡がりとはズバリ『包容力』です。
自分と異なる価値観の包容は、中々出来んもんですが、意識して訓練した方が善いと思うんです。
例えば自分と価値観が違う人が、或いは自分に迷惑を掛けた人が、
将来、自分を助けてくれるかも知れんのやから。
縁というのは『助縁と逆縁』があるんです。
逆縁は困るんだけど、
将来、助縁に成るかも知れんのです。
これを禅では『縁を尊ぶ』と言います。
逆縁だなぁと思ったらスルーしたらいいんです。
受ける必要はありませんから、変な因縁もらうと厄介だから。
逆縁を受けてしまったら捉え方として『縁を尊ぶ』という知識として心していた方がいいと思う訳です。
嫌な事を受けてしまうのも、自分の持って生まれた因縁だから覚悟したら、善いんです。
いや、覚悟せないかんのです。