『正論』って言うけど何を以て正論と言うのか?
人は人それぞれの正論と思っている価値観があるんだから、
一概に『正論』を論じることって言えるんだろうかという思いが浮かびました。
例えば商売で中々決算数値が芳(カンバ)しくない社長に対して、
決算数値が良い社長はどこか見下している感がある人や、
経営コンサルタントがこんなことを言っている光景を見たことがあるんだけど、
長年数値の業績が良くない社長に対して言うことに『数値が悪いのは、どこか考え方や行動が間違っているからだ。』と、さも正論風なことを言っている。
確かに、それは言えているんだけど、一概には断じえないと思う訳です。
ワシは神道と仏教哲学を学んで来たからか、全てが、そういうことで言い切れるとは思えないんです。
人間には、どうしようもない『前世因縁』があるから。
これを知らないから、儲けている人を以て、正解。
と言ういわゆる正論と思っている価値観でしか判断出来ないんだと感じる訳です。
運命は、運ぶ命だから自分の行動で『宿命』の範囲の中で変えて行けます。
『人生は、宿命という大河に流れる運命という名の船頭である。』
宿命という大河の中に自分の運命という舟を操縦するしか出来ないんです。
つまり、変えようの無い宿命の範囲で、自分の運命を変えて行けるということです。
運命という舟の舵をとる船頭が自分です。
自分の価値観を超えた『奥行き』『幅』を備える人間の器を持たないと、安易に判断は出来ないんです。
いくら儲けていても、社内の人間関係がギクシャクしてたり、
従業員の給料を低年収にしているが故の会社の利益って、果たして『善い会社』なのか?
経営は、数値、人間関係、お客さんや関係業者の質、商品の良さ、等々、様々な要素の、
バランスと、その高さじゃないかと思うんです。
香川薫陣(ゆうじ)の、人間関係の価値観で言うと『人間関係は共通基盤が根幹』ということです。
経営は特に共通基盤を持つことが根幹です。
そこに集う人達が共通の基盤を持つから、議論が出来るんです。
国会議員だって、国民の『生活の安定、安寧、向上』という共通基盤を持てば、
あんな国会中継で見るような不様なやり取りは、無くなる筈なんです。
組織の最小単位である『家族』にも共通基盤は当然必要。
夫婦二人で、どういう人生を歩みたいのか。
という共通基盤の合意と納得があって初めて人生に充実がもたらされるんです。
会社も当然合意と納得のある共通基盤が必要です。
共通の基盤がないと、議論すら出来ないんです。
多いんじゃないかなぁ合意と納得の共通基盤を持たずに、議論している会社。
そこで働く人達全員の合意と納得のある共通基盤なく儲けていたって、
果たして『善い会社』なんだろうか?そう思いませんか?
社員の心の統一が共通基盤の源泉です。
甲子園優勝を目指している高校野球部のように、
ワールドカップ優勝を目指している各国代表サッカーチームのように、
一致団結して且つ任務分担が、合意と納得の上で、
理想像に向かってチャレンジしている姿そのものが、あらゆる組織の在るべき姿じゃないかと思う訳です。
皆さんは、どう思いますか?