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「香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ平成31年1月4日
想いが世界を変える-エモーション社長のブログ

「香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ平成31年1月4日

今年最初のメッセージです。

今年は元号が変わります。

歴史を振り返ってみたら、慶応(江戸時代)から明治に変わった時は動乱、維新。

明治から大正に変わって二年後に第一次世界大戦勃発。

大正から昭和に変わって翌年は世界金融恐慌発生。

昭和から平成に変わって翌年はバブル崩壊。

平成から新元号に変わる翌年が大規模な何か起こるんじゃないかと思う訳です。

ちなみにですが、
新元号は『仁徳』になったら、自分の予感は凄いなぁと(笑)

浩宮皇太子殿下の名前は『徳仁』親王だからということと、 

十六代天皇の仁徳天皇に似てる感じがするんです。

まぁ、歴史は繰り返すと言われていますが、

何が起こっても、大きな変化の中で、 
己れの『立てるべきもの』を見極める。

そういう年だと自覚しています。

断つべきものを断ち、立つべきものを立てる。

ワシは経営者として、今年も『着実性と収益性と持続性と発展性』を包括した事業を坦々とやって行きます。

坦々とは、平坦な道を歩くという意味です。

他所(よそ)の会社を見ていて感じる、少なからずある点は、
お金の使い方が坦々とは言い難い感ありですね。

『見栄』
『しょうもないプライド』『思慮浅才』で、大切なお金を使っとるなぁと感じる会社、

まぁまぁあるんちゃうかなぁ?

特にちょっとした儲けが出た時のお金の使い方が、問題になる事が多い感ありやね。

ワシは、経営者は一種の芸術家やと思うんです。

経営という行為が傑作を残すか、はたまた、駄作を作ることになってしまうか、

経営者の哲学、手腕、覚悟に掛かっているんやと思う訳です。

白紙の上に価値を創造するのが本来の経営やと思う訳ですが、

まぁ、それぞれの経営者の価値の定義によるわなぁ、
どんな作品を描くかは。

単なる金儲けや合理的な経営という観点だけで見たらいかんと思いますね。

結局、人生とは何か、人間とは何か、というところから出発し実践せないかんと思うんです。

経営者は、総合芸術を創る芸術家やと思うからです。

そういう観点から言うと、

着実に顧客を積み重ねることも、
利益を上げることも、

社員の人間性と可能性を引き出すことも、

お客さんから必要とされることも、

社員と社員の家族や、お客さんから愛されることも、

数々のピンチを勝機に変えて行く思慮深い行動力も、

四方八方から質を上げて行く総合芸術家でないといかんと思う訳です。

そう思いませんか?

単に事業の業績を伸ばすことだけに心が充満している社長も、これまた多い気がするんよねぇ。

そういう会社の社員の人間的成長が伴っているのか?と考えてしまいます。

仕事を通して人の道を説きながら、それが、業績に反映されていることが本来なんやと思うのです。

経営者は、総合芸術家だから、その評価に値するだけの苦心なり、悩みが生じて来るんですね。

これが本来の経営者の姿やと思うんです。

苦しさを味わうことが楽しみになっているのが経営者というもんです。

現状に満足感のあるという人は、本当の芸術家に成っていないと思うなぁ。

駄作を作っとると思わな、いかんでしょうねぇ。

経営者をやる以上、傑作を作らないかんと思う訳です。

それが、周囲の幸福、充実につながるからです。

だから、社長の考えを社員全員の共感を得られるような人間力が必要やと思う訳です。

社長業は心配業と言われるように、心配するのが嫌な人は、
経営者は出来んですね。

あらゆる事を心配している。
心を配っている。
会社で一番心配する役が社長です。

社長は心配せな、いかんですよ、それが仕事なんやから。
心配があるから社長やっとる意義があるんです。

そして、常に四方八方から見た発展を考えているのが経営者です。規模に関わらず。

そして、会社では
『親父』になれていないといかんと思いますね。

ものを言いやすい親父ですよ。

ものが言いにくい親父ではダメですね。

叱り方にも苦労があるんです。

叱るという苦労もせないかんわな。

叱りもせず何もせずして部下が本当の仕事が出来ることはないんです。

叱られて有り難いと部下に感じてもらえる。
そういう社長でいるかどうか、も大切です。

毎日毎日が真剣に仕事しとる訳やから、
叱るのも誉めるのも、真剣ですよ。

心根は伝わりますからね。

あなたは社長として、

社長じゃない人は自分の周囲の人達に対して考えてみて。

社員に対して深い感謝と慰労の気持ちを根底に持っていますかね?

何百人、何千人と社員を抱えて何百億という売上を上げて、
経営者は人も羨(うらや)むような高収入を得ている人もいますが、

社員やパート・アルバイト・派遣という人達の『安月給』の上に成り立っているなら、

ちょっとおかしいと思うんですね。

白紙に価値を描く芸術じゃないなぁ。

社員が百人までなら、
社長が人格的に、能力的に尊敬と仰慕されているならば、
命令口調(これ、こうしてくれ)

で采配出来ると思いますが、百人超えて来たら、
采配はお願い口調にならんと上手く行かんと思います。

またその規模になると、

報酬と地位の与え方を区別が出来ないかんと思いますねぇ。

その規模の社長さん、区別出来てますか?

社員が、その地位に見合うだけの見識、適性があるか、それを見極め、采配して行くことが経営者に課せられた責任だと思っているでしょうか?

会社に長年功労してくれた社員には報酬で報い、部下指導に適している社員には地位で報いる。

これを間違ってはいかんのよ。

長年功労してくれていても、部下指導が適しているとは限りませんからね。

人の値打ちというものは、任せてみんと分からんもんです。

任せてみて、初めて分かるというもんです。

任すとは、手は放しても目は放さない。

人数規模が大きくなったら、目は放しても、心は放さない。

これが『任す』ということなんです。

だから部下は中間報告をせないかんのです。

「今、こうなっています。」と聞かれなくても、中間報告をしてくれよ、と社長は社員に頼んどかないかんですよ。

そういう判断を身に付けるには、朝に発意して活動し、
晩に反省する。この連続でないといけません。

経営という行為は、経営者の指揮の下、総合芸術作品を創って行く。

そして傑作を世に残さな意味がないんだと、新年に当たり決意した次第です。

社長じゃない人達も、自分の人生を駄作にすることなく

『傑作』にして行く気持ちは毎日持たないかんと思いますよ。

あなたの白紙のキャンパスに価値を描いて行くんだ!(昨日まではリハーサル。今日から本番。という気持ち)

と新年に決意してほしいなぁ。