『一流とは隅々にまで行き届いていること』と、エモーションでは定義しています。皆さんの『一流とは』の定義は?
自分が納得する一流の定義付けがないなら、一流には成れんでしょと言うときます。
世界共通の答えがあるとしたら『四則演算』くらいじゃないかと思う訳です。
四則演算つまり、足し算・引き算・掛け算・割り算の事です。
2×3は6ですが、外国では8になることはないでしょ(笑)
四則演算以外は、人の数だけ『価値観』が存在するんだから、
自分なりの『一流』の定義を考えて、深いところからの納得が得れるのなら、
それを人生のテーマにして、常に自己チェックする習慣が、一流の人物に近づいて行くことにつながると思う訳です。
また、人の数だけ価値観が存在してるんだから、自分と価値観が違うから、
と言って批判せんでええのに、批判ばっかりする人、どう思います?
あとこんな人、居りませんか?
昔は、親しくして寄って来てたのに、5年から10年くらい全然会ってなくて、
たまたま、偶然見掛けて、お互い認識してたのに、昔と違う感覚の対応。
久しぶりだったから、後日、お便りを書いて出しても、音沙汰無しの人。
昔の、あの付き合いは何だったのぉ?って思ってしまうような事。
昔は金回りが良くなかったから、割と素直な心だったのに、金回りが良くなって来たら、
素直さが知らず知らずに欠けて行っている人は、多いように思う訳です。
自惚れと言う名の垢が付着しているんだろうなぁ、としか感じられない人。
ワシは経験ありますから。
そもそも、誰かに手書きの手紙や、お便りを出す行為そのものが、
その人の心の芯に人間としての『温かさ』が根付いている証しなんですハッキリ言うて。
相手のことを想って、時間と心を注いでいる行為なんだから手紙というのは。
『利害取引』の感情の人には、経済至上主義としか思えないから、
心と手間なんて掛けようとは思わへんのじゃないかなぁ。
心の根底に『温かさ』が備わっている人でないと『一流の人間』とは言えないと思うんです。
何かの特技がずば抜けて一流と世間から言われていても、人間として一流とは、ワシは思えない。
ただ、その特技が誰よりも上手なだけ。という人は居るんやないやろうか。何を以て一流と言うのか?!なんです。
心温かい人は、鈍くさいなりにも、隅々にまで自分の心を配っていますから。
これを『真心(まごころ)』と言うんです。
真心は、相手が居ようが居まいが、他者に見られていても、いなくても関係ないんです。
自分の純粋な『相手を慮る気持ち』の現れですから。
真の人間関係は、真心と真心の付き合いなんです。
真心と真心を釣り合わすことを『真釣り』と言います。
真釣りは、祭りなんです。『人生は、お祭り』なんです。
人生で一番長い時間を共に歩む、会社に集う人達が、真心を釣り合わした関係でないとしたら、
それを『不幸』と言うんです。
ホンマですよ皆さん。
何で、真心を釣り合わせない人を雇うの?そこの社長さん(笑)
あなたの銭儲けの道具なんですか?
そんな会社、何ぼ儲けていても『善い会社』ではないなぁ。
『一流』じゃないわなぁ。
同じ釜の飯を食う仲間が、真心を釣り合わす祭りになっていないならば、
そもそも生きる意味があるんだろうかって、思いませんか?
真心を釣り合わすことが、人間関係の根本じゃないですか。と言いたいんです。
真心の発露として、ワシは、恩を受けた人のことは忘れたことないけどなぁ、
世の中の人は、忘れる人が多いんかなぁ?
ワシは、中〇さんには足を向けて寝れません。
34年前に中〇さんが『香川君、中々熱心やから、、、』って、コアな勉強会に誘ってくれたから、
ハッキリ言って今が在ります。
『縁の深さ』を感じざるを得ません。
32年前に逝去した、人生の師匠の縁を繋いでくれたのも中〇さんです。
皆さんは『この人に足を向けて寝れない』という存在の恩を受けた人が居ますか?
もし居ないとしたら、何と寂しい、何と侘しい、人生の廻り合わせでしょうか。と言いたい。
受けた恩は自分の心の奥底に、当(まさ)に石に刻むように忘れることは無いんです。
自分が掛けた情けは、忘れたらええのです。
一流の人は、隅々にまで行き届いている行為が自然体で為されていると思う訳です。
真心の発露が為されていると感じる訳です。
そういう人物を目指しませんか。
ねぇ皆さん!
補足説明が浮かびましたから、少し追伸を。
恩に感じている人に「足を向けて寝れない」そういう人が、もし居ないとしたら、
何と寂しい、何と侘しい人生でしょうか。の補足説明です。
誰だって、自身の心に耳を澄ませて、そっと聴いてみたら、
必ず居る筈なんです。
感謝している人が、感謝していた人が。
感謝している人には、足を向けて寝れないでしょ。と言う意味です。
今までの人生で、たった一人も、
感謝している人が、もし居ないとしたら、何と侘しい人生でしょうか。
と思ったのです。
誰しも居る筈なんです。
ただ、思い出していないだけでは?という投げ掛けです。
自分の心に聴いてみてほしいという僕の願いをメッセージした次第です。