『ジェンダー』という概念に、世間は生物的性別(男と女)を社会的性別(男も女も平等)としています。
つまり生物的に男だから、女だからと社会的に差別してはいけない、みたいな。
そんなことは当たり前なことなのに、殊更に『男らしく』『女らしく』とか
『男のしあわせ(幸福=仕合わせ)』『女のしあわせ(幸福=仕合わせ)』
ということを話すと、
ジェンダーの時代なのに、それは偏見だ。と言う世間の風潮がワシの価値基準には合わないんです。
そう言う人達は『人間とは何ぞや』を探究していない、いやしようとしない人達としか思えない。
世間では、女性の自立を往々にして、経済的自立や、社会的活動を為している状態を言うている気がしてならない。
経済的自立や、社会的活動だけが人間としての自立なのか?って、言いたい。
人は、それぞれに幸福の価値観、人生のやり甲斐の価値観が異なるんだから、
一律に『平等意識』が在るから、人間の公平性を見失うんです。
『一元生命』が人間の本質なんだ。ということを多くの国民が知らない、
知らないと言うか腑に落ちていない。
そりゃそうです『人間の本質』を学ぶ機会がない人が圧倒的だからです。
一元、つまり元は一つの生命なんだという生物的平等なんです。
だから、人間の本質に差別は有り得ないんです。これこそジェンダーフリーでしょ。と言いたい。
本質は平等であり『現象が差別』なんです。
つまり、役割の違いが存在するんです。機能の違いが存在しているんです。
『差を別ける』から、差別と解釈しているんですが、
世間は相手を卑下する意味に捉えている傾向が強い感あり、です。
『差=異なり』なんだけどねぇ。
指を見ても、全部同じ指で手が成り立たないでしょっ!
親指が五本あったら、手としての機能が働けますか?と言いたい。
指として親指も小指も中指も皆、それぞれに役割が異なるだけで、
皆、平等に大事なんです。
親指だから大事で小指は大事でない。そんなことないでしょ。
内臓だって、心臓肝臓胃腸等々、すべて違いがあり、すべて役割を、
各々が自覚して健康体を維持する為に役割分担して一所懸命果たしているから、
健康体を維持出来ているように、
そのモノの特性があるんだから、その特性を活かし切ることが人間尊重なんだと思う訳です。
男と女の生物的特性が異なっているんだから役割、機能が違って当たり前なんです。
それを『男らしく、女らしく』と表現しておるんですワシは。
誰かが決め付けているんじゃないのに、ジェンダーの時代に、相応しくない表現だと指摘する人達に、
機会あれば人間の本質論を発信したいなぁとたまに思う訳です。
経済的自立がない主婦であっても、旦那さんに尽くすことが自分の心の充実を
感じている人達は、沢山居ると思う訳です。
それは、自分の旦那を尊敬しているし、親しみの情を抱いているから、その人の力になりたいと素直に抱く感情やと思う訳です。
或いは自分とこの社長には、心底お世話になっているから、自分の誠意を自分の特性を生かして尽くしたい。
と思う社員もおる訳です。
なのに、業務の内容で他人にとやかく言われる筋合いは無いと思う訳です。
指紋が全員異なるように、人の数だけ価値観があるんだから、
他者がとやかく言う筋合いのものじゃないんだけどねぇ。
「自立とは、誰に対しても素直に自分の意見が言えている状態」を言うんです。
生まれた時から現象は全て『差』があるんだから、その『差』を区別する思考が、
相手を認めることに繋がって行くんだけどねぇ。
異なりを認めながら、その集団(家庭や会社等)に於ける『一つの方向』を生きている状態が『和』なんです。
世の中全て、その人の特性を生かした『役割分担』で歩んでいれば皆が充実して行くんです。
真の『男らしさ』『女らしさ』『その人らしい』在り方を考えてみることに、
あなたの心をたまには向けてみてはどうですか?