『自惚れ』と言う名の魔物。
昔は中々儲かっていなかったからか?
常に聴く耳を持っていて、素直さが備わっていたのに、
努力と才覚で儲かって行くようになると、人は、二つに別れて行きます。
一つは、儲かっていても、変わらない人柄の人。
もう一つは、知らず知らずに『自惚れ』と言う『魔』が忍び寄って来る人。
『自惚れ』と言う魔が忍び寄っている人の特徴は、
利害関係のある人にはちゃんと対応しているのに、利害関係の無い人には上の空的な対応に、
これも知らず知らずになっている人、まぁ多いよぉ。
昔とは明らかに違う返事の仕方で感じてしまうもんです。
本人は無意識に返事しているから、そこに自惚れ感が現れているのに気づいていない。
いつしか昔は備わっていた『感謝』『反省』が失って行っている。
そういう人が、どれだけ事業が儲かっていても、
商売すごいやん。となっても
『あんたは立派や!』には成らんのよ。あなたは立派やわぁ、とは感じない。
『自惚れ』と言う名の癌を患(わずら)っているかも?
お金には動物霊が憑依しやすく、因縁がくっ付いて来るから、感謝と反省する心が失われて行くと、
憑依されやすいんです。
(ワシは戦後まもなく水だけで百日断食を成し、禅坊主であり哲学者であった人生の師匠の「霊学講義」を学んでいますから)
動物霊の憑依のバリアが『感謝と反省』なのに、そこに自覚が無くなってゆく。
動物霊に憑依されると人間的魅力が削がれて行くんです。
外面(そとづら)は親切な言動をしているのに自社の従業員には取引関係の感情が過多な人に陥って行くんです。
いわゆる偽善者に知らず知らずに陥って行くんです。
やっぱり『あんたは、立派や!あんたんとこの社員も、ほんま立派やなぁ。』と言われる人間的深み、
人間的魅力が人生一番じゃないかなぁと思う訳です。
そういう人は、こういうことを自然体で実践しているように思うんです。
箇条書きで述べます。
『夫婦は二人で一つを生きること。会社は、皆で一つを生きること。
それ以外何の術(スベ)も有り得ない。と自覚している。』
『人は果たすべき役割を果たす仕事を通じてのみ、素直になれる。と自覚している。』
『命令は言葉でなく、発令者の意図を尊重せよ。ということを自覚している。』
『毎日毎日感謝と反省を繰り返す以外、真の人間には成り得ない。
人間とは、感謝と反省を繰り返す生きものだと自覚している。』
『人間として成長するには、一つの事を終わらすこと。何々しながらではモノに成らないと自覚している。』
『お金はその人の因縁しか稼げない。だから稼げない事を卑下せずに、へこたれない。』
『小を侮(あなど)る者、小また侮られん。を自覚できている。』
(自分より小、つまり劣っていると思っている人を侮っていると、その小なる
劣っている人から、あなたのことを侮られているよ。という意味。
だからバカにしてしまう心を戒める言葉です)
『特に、自分より小だと思える人に対して、呼吸を合わすことと、歩幅を合わすことが出来ている。』
(つまり小利口な人=器の小さい利口な人。そういう人は、頭の回転の鈍い人をバカにしてしまうから、
呼吸を合わすことが出来ないし、歩幅を合わすことが出来ないんですよ)
『経営は、損益収支と社員の心の収支に配慮している活動だと自覚し、実践している。』
『速効性のあるものは廃れるのも早いと自覚している。』
『即戦力を求めずに、一から育て上げる覚悟で実践している。
プロ野球で例えるなら甲子園優勝投手や野手を営業戦略上、
採用するのはプロ野球だからアリでも、やっぱり、選手は一から育て上げるもんです。』
皆さん、生きる姿勢の指針にしてみてはどうでしょう?と投げ掛けたいと思った今週でした。