やっとコロナ前の賑わいが戻って来た感がありますね。
これが世の中の自然体だと思います。
平成20年だから14年前に、うちの社員達に『自然体が一番』と題して社内学校の講義をしたんですが、
事業についても、社員の採用やプランの採用についても、自然体で臨むとはどういうことか。
と切り出して話した記録が残っています。
自然体には、意図や、作為(さくい)が無い行動という感じです。
コロナ禍の丸2年ちょい、の政府の施策には作為ばっかり感じて来ました。
この2年ちょい、政府施策を批判する人達、多かったよなぁ、と感じて来ましたが、
ワシの実践は、批判するなら、対案を出せ!です。
個人的に、コロナ対策やワクチン問題を聞かれた時は、香川湧慈なりの、対案を話して来ました。
聞いて来た、その人に対して、です。
不特定多数のSNSではワシは、ほとんど批判はしたくないし、して来ませんでしたが。
世間の多くは、たぶん自分の自然体での生き方の芯が確りしていないから、振り回されてしまうんです。
800年前の禅僧であり哲学者であった道元禅師(どうげんぜんじ)は自然体で生きることをこう言うとります。
自己を運びて万法(ばんぽう)を修正(しゅうしょう)するは、迷いなり。万法運びて、自己を修正するは、悟りなり。と。
分かりやすく言うと、
「自己を運びて」とは「自分からやりたくて行動する」
「万法を修正するは」とは「自分の周囲の環境を自分のやりたい様に修正してゆくのは」『迷いなり!』と道元禅師は説きます。
自然体じゃないと。
ワシが昔考えたのは、だいたい自分から進んで何かをやろうとするその心の奥底から自我が出るんやろうなぁ、と。
その『自我』から行動することは自然体じゃなく、迷いの人生に向かうぞ、と言うとるんじゃないか、と。
「万法運びて」とは、環境の方から整って来て、という事。
「自己を修正するは」とは、自分を整えて行くのは「悟り」に向かう。と言うとるんじゃないか、と。
そこに自我も無く、自然体の行動だから。
それを実践するには、自分のやるべき役割を自覚していることが、大前提に成ります。
その為には、自分の人生をどう歩みたいのかという人生目的が確りしていないと、役割を自覚しようにも、出来んわなぁ。
ワシの一番好きなNHK大河ドラマは、2008年の『篤姫』です。
徳川13代将軍家定公に嫁ぐ訳ですが、篤姫の実母が、まぁ、見事な言葉で我が娘を送り出します。
一、己れの役割を果たせ。
一、一方を聞いて沙汰するな。
一、考えて、考えて、答えの出ぬ時は、感じたままに生きよ。
この三つの言葉を贈りました。
現代のお母さん方、自分の娘を嫁に出す時に、娘さんに、こんな素敵な言葉、教養溢れ愛情深い言葉、贈ってます?
皆さん、この三つの言葉を、よくよく深く考えて、自分に当てはめてみませんか?
安易に世間の批判なんてしないし、自分の人生の目的を考えさせられますし、
一方の言うことだけしか聞かず、安易に判断しているであろう世間の多くの人達。
ゴールデンウィーク真っ最中に、自然体で生きるとは?自分の人生のやるべき役割とは?
を考えてもらうメッセージとさせてもらいます。