他人(ひと)の心の苦しみや悩みは、その本人しか、分からないもんやと思います。
心中を察して、想像してあげることは出来ても、その想像したことが、
的を射てるかどうかは分からんもんです。
また、その人に何か役立つキッカケになればと、何かしてあげても中々、
それを受け入れる心境になれない人も居るように感じます。
(これはもはや精神的病いやと思いますが)
結論は、どんな苦しみも悩みも、己れの心で克服して行くしかないというのがワシの価値観です。
そして、しょうもないプライド、見栄を自ら捨てない限り、人生行き詰まるようになっとると思うんです。
縁あって他人があなたの何か、克服できるキッカケを親切心(ごころ)で、
作ってくれているにも関わらず、
自分の欲求が優先してしまう人は、多い気がします。
欲求とは(自我が強過ぎて)自分が『第一に知りたい事』のみ発散してしまっているクセのことです。
よく、テレビドラマで言うてる『ただ真実が知りたいだけなんです』みたいな。そななん知らんでええんちゃう!(笑)
そういう人の大体は、
その『知りたい』心境というのは、被害妄想の心のクセ。とも言えるんじゃないかと感じることがあります。
自分のことを何か善からぬことを言われてると思っているから、何か、言い訳したいんでしょうか?
その人に瞬間的に頭に来たから、責めてるんじゃないの?その人を責めても
仕方ないのに。
その被害妄想のクセを心の持ち方で払拭するしか、あなたの心は晴れませんよ。
どんな想いで、他人であるあなたに、キッカケを作ってくれているのか?
に先ず、心を傾けな、
いつまで経っても、あなたの心の苦しみや悩みは、スッキリせんと感じるなぁ。
例えば以前、誰かがワシのことを良く言っていないと言うことを、
ワシに親切心(ごころ)で言ってくれた友人がいましたが、
誰が?何を?どんな風に言ってたんか、聞きたい気持ちも一瞬過(よぎ)りましたが、
ワシは何も聞かず、言い訳も発せず、ただ『ありがとう』と返事し、握手しました。握手ですよ、握手(笑)
一切、聞き出すようなことはしませんでしたね。
皆さん、ワシはココやと思うんです。
イチイチ聞くなっ!というのが香川湧慈の価値観です。
聞くより、自分の心に潜在している二つの心に、気持ちを向けることが大事で大切やと思うんです。
二つの心とは、卑しい心と、誠実な心です。
人間は誰しも、この二つの心を内在しているもんやと思います。
己れの良心で、内在する卑しい心に打ち克つしか、苦しみや悩みは克服して
行かんと思うなぁ。
苦しみから逃るる道は苦しみ切ること。
苦しみ切ったその先には『スッキリした心』が待っているんだと感じます。
言い訳したい気持ちは分かりますが、
言い訳の心が浮かぶようじゃあ、あなたの心の苦しみや悩みは解消されんような気がします。
苦しみの海に溺れたまたやでぇ。
観念する。苦しみ切ることで、溺れた状態から逃れられるのに。
誰にも備わっている心の良心を発露する毎日を心掛けませんか。
言い訳の先に、スッキリは、ありません。
誰しも、誤解されることはあるんですから。
だいたい、誤解する人というのは、あなたとじっくり話した体験の無い人達やと思うんです。
自分の人間性や価値観のことを、よう知らん人達なんやから、
そりゃ、誤解されても仕方ないという一面はありますよ。
イチイチ被害妄想に陥るより、
自分の良心に心を向ける習慣をワシの縁ある人達には、持ってほしいなぁと思った今週でした。