コンサルタント業を商売にしている人って、まぁまぁ居りますね。
そもそも、コンサルが出来る能力がある人って、個人でやるべきやと感じてしまう時があるんです。
事務スタッフを雇用するのは別です。
コンサルをする人は、オーナーただ一人というのが、やっぱり本筋じゃないかなぁ、と。
『その人』だから、出来るんであって、
コンサル会社で何人も社員コンサルタントが居る、人数規模のある会社って、
能力の無い社員多い感あり、です。
いや失礼(笑)能力、乏しいと感じるんやけどね。
でも世の中に、数十人規模や百名規模のコンサルタント会社があります。
上場している大規模人数のコンサル会社もありますが、
何で成り立っているかと考えると、
言い方悪いけど、
人生哲学を確立していないんじゃないかと感じる社長達が沢山居るから、
つまり、何の為に経営するのか、如何なる方法で維持発展させて行くのか、
ということを自分自身は勿論のこと、社員や得意先にも、納得行く哲学を持っていないから、
コンサルタント会社に自社の経営の戦略の相談なんかを、多額の報酬で依頼をするから、
人数規模のあるコンサルタント会社の商売が成り立っている実態。
でも本当に『対費用効果』が成り立っているんだろうか?と感じてしまう会社も、よく見かけます。
多額な報酬をコンサル会社に払うなら、社員の待遇向上に使えばいいのに、
と感じる会社も、あるように感じるんだけどねぇ。
専門の業務スキル系のコンサルなら分かるんだけど、
他人の業績事例を上手にプロデュースして、
セミナー系で収益を上げているコンサル会社も、大小あるけど、
ワシは、そういう系は好きじゃないんです。
だいたい年間商い高が7~8億から数十億規模の中小企業が、狙われていますね。
狙われている、は口が悪いか(笑)いわゆる『お客さん』にされている実態ですね。
数百億~数千億規模の企業が、年間数千万~数億のコンサルフィーを支払って、
システム導入からアフターメンテナンスというコンサル内容というのもあるから、
社員が数百名の大手コンサル会社も会社維持が出来ているんだろうけど。
ワシも昔、ちょっと知っていた(そこの専務が、うちの商品の愛用者だったから)
人数規模のあるコンサルタント会社で、そのコンサルのビジネスモデルが全国的にヒットして、
コンサル事業の拡大に比例して社員が増えて行ったんだけど、
全国にコンサルに行くコンサル社員達の旅費交通費と人件費過多、
そして、そのビジネスモデルの衰退傾向で、依頼する企業が減少して行き、
一世を風靡した、ある業界では有名コンサル会社も、倒産。
コンサルタントを業にしている会社が、倒産ですよ、皆さん。
そのコンサル会社は、自社の社員数の適正規模を、考えなかったのか?と感じましたね。
ビジネスモデルが好評に見えたから、安易に社員を雇い過ぎた感があるんだけどね。
こういう実例からも、自社の取り巻く環境や自分の人生哲学をもっと深く考え直してみてはどうなん?
と言いたくなったことが過去ありましたね。
コンサルタント会社の創業者は、それなりの人物であったりするから、
人間洞察力が優れていたと思うので、
その実績の積み重ねが『ブランド』に成って会社がそこそこ有名になっているんだけれども、
それは創業者個人の能力に因るもので、
社員が真のコンサル能力がある人も、わずか居るかも知れませんが殆ど、
居らんわなぁ。
そんなことを、ふと思ったら、世の中の多くは『つまらん』なぁと感じたので、
今週のメッセージにしようと題材を携帯にメモりました。
依頼する会社も、規模が大きくなって来て、業務が複雑になって来てやねぇ、
無駄の発見が出来にくくなって来るんやろうねぇ。
社員にも、知らず知らずに無理を強いるようになり、
いつしか業務が仕事でなく、作業になり、売上だけが伸びているから、
それを『成長』と勘違いしているから、油断が起こって来る。
売上だけが伸びている状態は、ワシに言わせると、成長ではなく、膨張なんです。
成長とは何ぞや?!の定義を考えないかんよ、と縁ある社長達に言うてるんですよ。
これを読んでくれているあなたも、自分なりの『成長の定義』を、
文章にしてみる取り組みをしてみてはどうですか?
会社も『無理がないか、無駄がないか、油断をしていないか。』を、
社長という立場の人間は、しょっちゅう考えること。
そして社員に示唆することが大切であり、大事なんです。
あ、そうそう『大切』と『大事』という言葉を皆さんは区別していますか?
『大切』とは、心から必要としていて慎重に注意深く扱う様のことであり、
『大事』は、自分にとって必要だから確りと扱う様を言うんです。
そして深刻な事態を『大事』と言うんです。
個人個人の人生を考えても『社会人としての人生』を考えた時、
あぁそうそう、これ今月のエモーションの『社内学校』の内容でもあるんですが、
社会人とは学校卒業して就業してから、寿命で逝くまで、と定義しています、うちは。
こんな話しました。
90歳まで生きるとして社会人になるのが18歳か22歳の人が大多数だと思うんですが、
中を取って、20歳から社会人としたら90歳から20歳を引くと社会人としての人生は70年。
3分の1は睡眠しているとして、起きてる時間は約46年。
その内3分の1が会社での勤務時間としたら、
残り約30年が、プライベート時間ということになるやろう。と話ました。
90歳まで生きたとしても一般的に自分が自由に使える時間は、わずか30年やぞ。
そのプライベート時間30年の中で、メシも食べるし、風呂も入る。遊びにも行くし、家族との時間も。
そう考えると、30年の半分くらいは、そういう時間に費やす訳やから、
自分が教養を身に付けたり、人格を磨いたりする時間って、90まで生きたとしても、
長いと思われる人生時間の内、わずか15年くらいやないか。
90まで生きても、たった15年しかないなぁ、と話したんですよ。
死んで、あの世に持って行けるものは『教養と人格』だけや。
長生きしたとしても、自分が余程、意識して学んで行かんと、
教養を身に付けることも、人格を磨き続けて行くことも、せんかったら、
人間として中身空っぽで『あの世』に行ってしまうからな。
いずれ行く『あの世』で困るでぇ~(笑)
あの世で過ごす期間、何千年か知らんけど。って、話しをしたんですよ。
社員一人一人に死生観を養ってもらいたいという想いがあるからなんです。
『無理なく、無駄なく、油断のない生活態度』を、社員皆に考えてもらう社内学校でした。