もう10年以上前になるだろうか。
花見の時期に、吉野に在る『吉水神社』に参拝に行き、吉野の桜を見て来たことがありました。
ワシは源義経公と楠木正成公の生き方が好きで、
義経公(平安時代末期~鎌倉時代初期)と正成公(鎌倉時代末期~南北朝時代初期)は、
生きていた時代に約140年の差がある歴史に名を残している武将です。
義経公については、
20数年前に『新平家物語』16巻買ったことがあるんですが、
その中に、義経公と、静御前が吉野に身を隠していた時期があった縁(ゆかり)の地ですし、
楠木正成公が生涯賭けて護り通した後醍醐天皇の縁の地でもあることから、
参拝に行きたいと思い行った次第です。
吉水神社で祝詞を奏上していたら、神主さんが『何者??』という感じで見られていたようで、
そして、吉水神社には後醍醐天皇をお祀りしている部屋があり、
そこは拝観料を払うと見学できるのですが、後醍醐天皇の畳の部屋は綱が張ってあり、
その畳の部屋の中には入れないようになっていました。
なので、綱の外に正座して、深々とお辞儀をし後醍醐天皇に、
ご挨拶と祝詞を奏上していたのを監視カメラに映るんでしょうね。
その神主さん、中に入って来て、
『ささ、どうぞお入り頂いて、ご挨拶下さいませ。』と言いながら、
綱を外して畳の部屋へ誘って頂きました。
ご挨拶、拝観が終わって、神主さんと話をしましたら、
何とその神主さん、元は警察官でその神社とは血縁が無い人なのに、
警察官時代神戸の湊川神社(楠木正成公を祀っている)を、しょっちゅう掃除しに行っていたらしく、
ある日突然、吉水神社の神主になりなさい。と、お告げのようなものがあったと言っていて、
ワシも『ほんまですかぁ?!』と話たことを、ふと思い出したので、
メッセージしようと今週携帯にメモりました。
その日、吉野の旅館に泊まり、露天温泉に浸かりながら、
当時の義経公も詩を詠んだんじゃないかと、想いに耽りました。
そして、こんな感じで湯船に浸かり桜を見ながら義経公になったつもりで詠みました。
『去り行かん、この世の想いやがて消え、形見とて何か残さん、春は花、
秋は紅葉の、これぞ誠の神の国。また廻り逢わん、染む紫の雲の上まで』と。
こう言うたかどうかは知りませんが、
そういう心境じゃなかったかと感じましたねワシは。
またこれは実際『義経記(ぎけいき)』にありますが、
義兄頼朝の命により、平家を討伐した後、頼朝より認められると思いきや、
嫉妬の念か、あまりの強さに恐れの念か知らねども、
義経討伐に、全国指名手配の身となり鎌倉軍(頼朝軍)との戦。
義経公の四天王の一人弁慶が、殿である義経公に、こう詩を詠むのです。
『六道(りくどう)の、辻の巷(ちまた)で待てよ君。遅れ先立つ習いありとも。』と。
六道つまり、死んだ後に地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天の六つの行き先に行く、
辻の巷つまり、その角で待っていて下さい。
習わしから言うと家来の自分が先に逝くのが筋ですが、
この戦の中、どちらが先に『あの世』に行くか分かりませんから、
私が先に行っていれば待っておりますが、殿(君)が先に行ったとしたら、
待っていて下さい。
と言う意味なんです。
で、義経公がこう返されたんです。
『次の世も、また次の世も、廻り逢わん、染む紫の雲の上まで』と。
次の世も、そのまた次の世も、何度生まれ変わっても、また廻り逢おうぞ、
天上界の最上界である、紫に染まる雲の上に行くまで。
と言う意味なんです。
ワシは、以前同友会のどこだったか、奈良の青年部に呼ばれた時の報告だったと思うんだけど、
こう言いました。
もし生まれ変わったとして、今の仕事を今の社員と、
また一緒にやりたいとホンマに思うとるんです!!
この心境を幸福(しあわせ)と言わずに、
何を幸福(しあわせ)と言おうか!!と唸ったのを思い出しました。
今、付き合いのある魂感じる友人達とも同じ心境ですね。
経営者や社員の皆さんは、今の経営者、社員と、今の仕事を、またやりたいですか?!
また、やりたいなぁ!という人間関係の人も居れば、
もう、嫌やぁ!という人間関係の人も居るでしょうが、
今からの、あなたの、言動が、将来を示唆すると感じます。
そこで今週のメッセージを思い付くまま、述べますね。
大切なものは見えない。
だから、見えないものの中から大切なものを掴むこと。
世の中は、人は、有情。しかし、商いは無情。
天は学んでもらう為にチャレンジを与える。
この方法しか、伝える術がないから。
繰り返し同じチャレンジを与えられるとしたら、
あなたが、そのチャレンジから学びを得ていないということである。
大きな苦難が遭った人は、人格の変換のキッカケだと捉えること。
故に、苦難は有り難いと言える。
自分の箱の中から抜け出る方法は、唯一つ。
謙虚になること。
考え方が、運命を決める。
これを素直に認めることを「謙虚」と言うんです。
成功者というのは特殊ではない。
原則の中で、全てが生きている。
ただ、活用の仕方を知っているだけ。
成功しない人は、出来ないんじゃないんです。やり方を知らないだけなんです。
自分の基準は、どこまで引き上げるかが鍵。
生きる目的は唯一つ。
自分の心を澄んだものにし、精神性を高め、
自分が如何に喜ばれる存在になれるか。ということ。
只今、この瞬間から自分が、どう周囲に喜ばれる存在になれるか。
の積み重ね。
団体のトップの立場にある皆さんに。
方向性を示したトップは、組織に「勢い」があるかどうかを見極めることが
重要。
その時部下にその意向が感じられない時は、トップの決断変更が要求されるんです。
しかし、面子の上から「こだわり」を生じてしまうもの。
組織に勢いが付かなければ、目標の実現はない。思い切った変更が要求される。
トップの面子の防波堤がブレーンの仕事である。
商売は勢いに求めて、人に責(もと)めず。
一人一人の働きよりも先ず全体の勢いが重要である。
トップの仕事とは、全体の力を一つにまとめて、勢いに乗らせること。
社員の多い少ないではなく、勢いの有無によって勝敗は決まる。
前進すること無くして守ることは意味を持たない。
積極的な行動があって初めて、守りが成り立つ。
撃って出る攻撃は、人の心を攻撃目標に集中させる。
手をこまねくばかりの防衛は、人の心をバラバラにしてしまう。
攻撃は求心作用。防衛は離心作用。
目標を明確にして、
それに向かって積極的に進むことは、求心力を高め、離心を防ぐ、最大の策である。
思い付くまま述べましたが、いかが?
歴史に名が残っている人物で心惹かれる人物の生き方に、
現在の自分の課題を重ねて、考えてみるんですよ。
それが『歴史に学ぶ』ということです。
歴史「を」学ぶんじゃなく、歴史「に」学んでほしいなぁと思う訳です。