これからは特に、今までの常識が通用しない時代に成って来ると強く思います。
激変の時代に成って行くんだろうと思う訳です。
だからこそ、自分の生き方にブレが無いよう歩まないと、
いかんと思いますよ、と皆さんに発信します。
『ブレない生き方』のお手本は、天皇陛下の生き方です。
天皇の歩む道つまり、皇道(こうどう)に学ぶ生き方を考えてみてはどうですか、と言いたいと思った次第です。
皇道とは何か、くらい自分で調べてみて下さいね。
分かりやすく言うと、自分が天皇陛下なら、毎日どのような想い、
どのような考えで人生歩むのかを考えてみることで、
視野が変わって来るんじゃないかと感じますね。
自分が天皇陛下だったら、という観点で会社を見る。家庭を見る。
そんなこと思ったことも無かったんじゃないですか?
天皇陛下は、公正無私を貫いているお方で、
365日、国民の幸福のことを願い、祈ってくれている人間なんですね。
あなたはあなたの会社で公正を貫いてますかねぇ?
私欲が強く出ていませんかねぇ?
経営者は、社員の幸福を365日願い、祈っていますかねぇ?
社員の人達は、経営者や他の社員の幸福を、365日願い、祈っていますかねぇ?
先ず意識し続けるからやがて、無意識に身に付いて来るんですよ。
無意識に、こういう事を願い、祈っているのが『まともな親』が、
子を思う気持ちと同じですね。
ということなんです。
人生の、あらゆる問題解決のヒントが、そこに存在するような気がします。
そもそも、人間の問題の大多数には、利害が出て来るところに発生して来るんです。
利害を考え、そして、利害を超える器量があるかどうか、なんですね。
ここ最近のニュースを見ていると、権力金力地位のある、
その組織のトップの、醜い立ち居振舞い。
正に、天皇道の真反対の立ち居振舞いやなぁと感じてしまう。
無様、不様。としか言い様がない。
讃岐(香川県)が生んだ哲人であり覚者であり達人であり、
愛と情を備えた、空海こと弘法大師が、こう言うているんです。
1000人中、998人が、地獄に堕ちる。と。
欲望に生きた人達が、1000人中、998人。
この998人を『凡夫』と言う、と。
我々人間のほとんどが凡夫です。
唯一、凡夫が地獄から抜け出せるのは、こう言うています。
神の願いを自分の願いとして実践したら、心底そういう気持ちに成ったら救われると。
弘法大師は言うているんです。
ということは、我々凡夫でも、神の願いは何なのか、を模索しながら、
実践したら地獄に堕ちずに済むかも知れんということです。
また、この弘法大師に多大な影響を与えた、聖徳太子は、こう言うています。
凡夫ばかりであっても『和』を成せば、そこは『浄土』と成ると。
つまり、現代に置き換えると、凡人ばかりの経営者や社員でも皆で『和』を
作れば、浄土に成るんだと。
和とは、仲良しのことを言うのではありません。
日本古来の本当の意味の和とは、
所属する組織の全体の発展の為に、
一人一人が、自分は何を以て、お役に立つのかを自覚して、
その自覚した事を、自分の特性(長所)を生かして、果たしている状態。
役割分担が為されている状態を、和と言うんですよ。
こういう状態を日本語では『らしく』とも言います。
つまり、和とは、自分らしく生きている状態のことなんです。
決して『自分らしい』と、何でも勝手に出来る『自分勝手』とは、
全く異なるものですから、勘違いせんようにね。
最後に、ワシの好きな武将である楠木正成公の言葉に、こういう言葉を遺しています。
『非理法権天』と。
非道な事は理つまり、道理には勝てない。勝てないとは、世間は認めないということ。
また、道理が通っていても、法には勝てないということです。
いくら道理が通っていても、法が全てに社会正義とは言えないからです。
そして法を守っていても、権力には勝てないというのも、
世間ではよく見られる光景ですね。
最近ニュースの各団体のトップ達の権力。理不尽極まりない感じですが、
しかし、楠木正成公は言うてます!
如何なる権力も、天には勝てない。と。
だから、聖徳太子も、弘法大師も、神=天の願いを学べ。と我々、
凡夫に諭してくれているんです。
我々が地獄に堕ちる事を防ぐ為に。これを愛情と言わず、何と言おうか。
日本人の先哲の教えは有り難いなぁと感じた今週でした。