「一念になる」
今週は、このことをワシの師匠の修行時代の実話を紹介して皆さんに発信したいと思います。
時は昭和23年か24年。師匠の弟子時代、二十歳そこそこの時代の実話です。
師匠は自分の師匠である京都建仁寺の管長をされた臨済禅の今津老師の弟子でした。
当時、建仁寺管長を退き妙光寺の管長をしていた頃です。
※後にラグビーで有名な、花園大学の学長をされた方でもあります。
二人で船に乗船(二等客室)していた時、今津老師は禅を組んで座られ、
長い船旅の中、師匠もまだ二十歳そこそこでしたから自分はキチンと正座していたんだけど、
終始キチンと正座していたけど老師の禅を組んでいるのが気になるのか、チラチラッと見ていたそうです。
長い船旅が終わり、下船した途端に、今津老師がワシの師匠の頬を思いっきり、
「お前は、船に乗っている間、禅でも組もうか、と思う心でキョロキョロしおって。よそ見するなっ!!」
と、ひっ叩(ぱた)かれたそうです。
内心「禅を組まれてたのは老師なのに、自分はちゃんと正座してたのに何で叩かれないといけないんや?」って思ったそうです。師匠も弟子時代でしたからね。
皆さん、何で老師はひっ叩いたか分かりますか?
おそらく、よそ見せず、ひたすら正座に集中していたら、叩かれなかったでしょう。
心が集中せず、よそ見する浮わついた心を叱ったのだと思います。
一念になる。
毎日の業務も、ただひたすらに一念集中してキチンとこなしてゆくこと。
これが作業でなく仕事に成るのです。
作業からは、やり甲斐や働き甲斐、延いては生き甲斐には成りません。
やっぱり仕事になっていないと、働き甲斐、生き甲斐には、つながらないんですよ。
プライベートも同じ。
よそ見しない!浮わつかない!男女関係も同じです。
皆さん、
よそ見してないですか?
浮わついてないですか?
幸福の原点は「一念に成る」ということじゃないかと思うんです。
よそ見している人、好きですか?
浮わついている人、好きですか?
何かに一念になっている人は、やっぱり美しいと思います。
毎日の業務で言うなら、決められた一連の業務を一念にキチンとこなして自己チェックする。
※自己チェックが肝です。
この積み重ねが「仕事」に成るんですね。難しいことやないんですよ。
ただひたすらに、一念に、やればええだけなのに。
他事ぐちゃぐちゃ考えない!
よそ見しない!
己の役割をひたすら一喜一憂せず、キチンとこなすのみ!です。
そういう習慣を身に付けると、不安感が無くなるんですよ。迷いが無くなるんですよ。
観念出来るようになります。
※こういうことをホンマに全く、分かってない人が多いわぁ。
こういう事をワシは自分の会社で社員に口酸っぱく言うて来ました。
何故ならば、うちの社員達には、人生を不安感なく、観念して、己の特性を充分に発揮して歩んでほしいという社長としての願いがあるからなんです。
毎日の業務を、どう捉えるかで、実は自分の心に安定感を養い、人生を堂々と歩めるように成るんです。それを仕事と言うんです。
そういう信念があるんですワシは。
だから、些細な毎日の決められた業務に特に心を配るんです。
気になるんですよ。
些細な、ちょっとした事を決して疎かにしないんです。
少なくとも、うちの社員達には、自覚ある人生、何が起こっても、慌てない、キチンと対処して行ける、困っても困らない強い精神力を身に付けてほしいという願いがあるからなんです。
皆さん、人間は全員死ぬという事実があるのに、何で不安感を抱くのか?迷うのか?
いつか必ず死ぬんです。だから、観念したらええんです。
皆、寿命で死ぬんです。
決まりきっているんだから、観念したら心が安定しますよ、ホンマに。
例えば、百円しか持っていないのに、百五十円のものが欲しいと思うから苦悩が始まるんです。
百円しかないんだったら、その中で充実を見出だすことです。
そういう習慣が、様々な器を広げてくれるように思います。
それを「器量」と言うんです。
苦労人は器量がありますし、人間洞察力がありますね。
欲しい、欲しいという貪(むさぼ)りの心からは幸福は訪れないんです。
まぁ40歳までは、欲しいという想いは活力、バイタリティーになりますが40歳越えたら、欲しいという貪りの心を捨て「捨てて行く人生」を歩みませんか!
しょうもないプライド、見栄、物欲、捨てて行く心に向いて行くと、心が豊かに成って行く感覚が生まれて来るから。
諦めるんじゃないんですよ、勘違いしないようにね。
明らかに認めることを、観念するということです。
ワシは、明らかに認めると書いて「あき(明認)らめる」と言うてます。
人生決して諦めたらいかん!明らかに認めるんやで!って。
ただ目の前のやるべき事を一念にこなして行くことで、人生に迷いなく、不安感なく生きられるんです。
人間は、動機(原因)論でもなく、結果論でもなく、行為論だと禅は説いています。
つまり、生きている間に「あなたは何を為したのか」が天から問われていると説いています。
だから人間は自分の行為で成長もし、自滅もするんです。
毎日の決められた業務を一念にキチンとこなして行くことが、社員自身の自滅を防ぐ唯一の日頃から出来る方法なんだと思うとるんです。
だから、自滅してほしくないから、出来るまで言うんです。
「ちゃんとせえよ。」「キチンとせえよ。」と。ケチ臭い損得勘定じゃないんですよ。
社員達自身の自滅を防ぐ唯一の方法やからなんです。
それが分からんようじゃ「つまらん」のです。
つまらん人間に陥らないように、ワシは一日も欠かさず努力しとるんです。ワシの縁ある人達には、つまらん人間に陥らないで欲しいんです。
ワシも努力しとるから、皆も、努力してほしいと願っているんです。
禅は、そういう心を説いているんだと思います。
皆さん。
観念する。一念に成る。
ここに自分の心のチャレンジをしてほしいと思った今週でした。