「相手の立場になる」
これは究極、出来ないと思います。何故なら、本人じゃないからです。
しかし、相手の立場を慮(おもんばか)ることは出来ます。
慮るとは、深い思いやりの心、気持ちのことです
。
これが、中々出来る人が少ない。
特に相手が弱い立場の人や、介護を受けている人や、ホンマにどうしようもないような人間に見える人に対しての「慮り」が出来ないのが多くの人やと思います。
相手にも、人それぞれの事情があるということを慮ってあげる配慮が実は自分の心を高め成長させる心の行為だと思います。
介護している人のイライラ感は、察しますが、介護されている人の心中や、どうしようもない、
トコトン本人の心理状態を洞察してあげる優しさが必要やと思うんです。
自分は、相手本人じゃないから「何であの人は、こんなことも出来へんのか!」とか
責め心の無い、あなたの優しさを養成してほしいと願います。
厳しさと責め心は違いますから。
自分の憤りをぶつけてはいかんと思うのです。
憤りに見えて、厳しさで言っているとは思わない人も多くいますが、
その人の、相手に対する洞察が浅いからです。
基本憤りは、義憤に限り認められるんですね。
義憤とは社会悪に対する憤りのことです。
これは持ってほしいと願います。
厳しさというのは、優しい思いやりの心が同居しているもんです。
厳しいから人が付いて来ないんじゃなく、あなたに信頼が置けないから、
そういう慮りの心を備える生き方をするには、理想の美学に従う生き方が、
神道では、今の時代を「松の世」と説いています。
「松の世」とは、今まで自分がやって来た全て(良い事も悪い事も、都合の良い事も都合の悪い事も)が出て来る時代のことを言います。
だから、自分の生き方の美学を持ち、美学を深め、根を張り、バランスを取って、
そうすることで、結果として時が来れば、相応しい時に花が咲き、やがて実を成らすんだと思うんです。
確りとした考え方、時代は何を求めているか、自分は何を為すべきかを考えて行動するから花が咲くのであり、継続していると、実が成るんですね。
だから学んだことを実践していないと、学んだことにならんのです。
特に生活の基本となっている仕事で学んだことを実践することで、学びが身に付くんですね。
会社でも家庭でも、自分の立場でどうすれば他人に考えてもらうことが出来るのか、
自分の立っている位置に於いて、何が出来るのかを考えること。
これが「しあわせ」であり「国」を考えるということなんです。
会社に置き換えると社員は、常に、社長は何を考えているのか、何をしようとしているのか、
常に社長を見よ!なんですね。
これには前提がある。
社長や親は、社員や子供の「北斗七星」でなければならないんですね。
人生の目的が「北」と表現するならば「北」を知るのは、北極星でなく、
北斗七星なら誰でも見えますから。
人生の目的に向かって、ひたすらに進むことで、社員や子供の北斗七星に成るんです。
周囲の人を充実した人生を歩んでもらう為に自分が北斗七星に成るんだと強く思い、
今の自分の立場で何が出来るのか、を考え行動することなんです。
話しは変わりますが、躾の行き届いた犬は、飼い主の前には出ない。
そして、イザ!という時飼い主の前に出て防御している。
犬でさえ、これが出来ているのに、人間なら出来ないはずはないんです。
淡々とした状態で自分の仕事をキチンとこなす。
これが「和」の原泉です。仲良しチームが「和」ではありません。
縁あって集っている会社のメンバーで、何の目的の為に仕事をするのか、
いくら給料が高くても。
縁あって一緒に暮らしている夫婦や家族も同じです。お互いがお互いを慮る。
そうすると、自ずと自分の役割が分かって来るんです。気付いて来ます。
これに尽きるような気がした今週でした。