エネルギーや情熱では、覚悟は出来ない。
つまりヤル氣や情熱だけでは、覚悟に至らないんです。
もっと冷静なものが覚悟なんですね。
また情熱ある人に、人は付いて来るんだけど、「真の目的」に付いて来てくれるかは、疑問ですよ。
人は真に覚悟のある人に付いて来るもんなんです本当は。
これには共に歩んでいても年数が掛かりますし、深いところでは、お互いどうしの縁が深いかどうかになって来ます。
人間の考える範疇を超えるところに存在するもんやと感じます。
理想とは、理(ことわり)を持つことであり、外れがないということ。
覚悟に至っていない人は理想を語りながら、実は夢想していることが多いもんです。
理を持って、語ることが出来ないと、覚悟に至らないんです。
つまり、私の夢を思うんじゃなく、理を思え。なんです。
逆に言えば、理(ことわり)つまり、人生哲学(人生観や社会観)の乏しい人には理想は抱けないんだと思います。
理は、神道や仏教哲学を学び続けながら、実践する以外に、具(そな)わらないと感じます。
机上の勉強だけでは具わらないんですよ。
学問は実践して初めて、学問に成るんです。
そして理の無い人には、他人を指導することは出来ないと確信しますね。
皆さん、惑わされないように、自身が確り
「人生とは何ぞや?!」「人間とは何ぞや?!」
を自問自答していると、その想念が波長となって真理が感じ取れる学びが出来て来るように思うんです。
これなら、皆さん出来るでしょ!
人生とは何ぞや?!人間とは何ぞや?!
を自問自答することくらいわ。
世の中、まともな指導者が増えない限り、良くはなって行かないんです。
やっぱり指導者に尽きるんです。
まともな指導者に付いた部下、社員はしあわせ者に成れると思うんです。
部下や社員自身の良心が発芽するからです。
指導者が、皆んなの充実した人生を本氣で願い、行動、苦悩する姿を部下や社員は見ているもんです。
ただ、指導者が部下に話しをする際、部下が興味を引く内容から導いて行く話しをしないと、一般的には、聞き流されることが多いもんです。
会社に対して、安心感や希望が社員の心にあれば、他人事でなく自分事として、スッーと心に入って来るもんです。
その為にも、理(ことわり)つまり、人生を充実させる哲学を、上に立つ者が持つことが皆を導いて行くのに必要なんだと思った今週でした。