「儲けの根元・五原則」と題して昔、講演したことがありました。
一、時流に乗ること。
一、儲かるよう会社のシステムを作り変えること。
一、付加価値(粗利率)を高める創意工夫に徹底的に挑戦すること。
一、社員のヤル氣が起こってしまう社風創りに全身全霊を懸け、社員を時間で使うのでなく、
社員の能力を生かすこと。
一、社長の器を大きくし「ツキ」を付けること。
この五つで一番大事なのは「社長のツキ」である。
というものでした。
この「ツキ」を付けるのに、最も重要な要素は社長自身の人生哲学を深め、覚悟を決め、
素直に吸収することやと思うのです。
社長じゃない人も、自分の人生の経営者は自分なんやから、自分の人生を深く考えることは、
一度や二度はした方がええと思うよ。
そういう自分の人生曲線を描く、自分の日頃の言動を、無意識の行動のクセを深く考えてみる。
実は、これが充実する人生のスタートやないかと思う訳です。
まぁ、理想を打ち立てるというか、理想を描かない人が、よぉ~け、おる。
理想に向かって、飽く無きチャレンジをして歩むことを「生活」と、ワシは呼んでいます。
理想に向かっていない人は、生活しているんじゃなく「生存」しているだけやと思いませんか?
生存だけなら、人間以外の動物は皆しとる。
生きることに活力が湧いている状態を生活と言うんと違うかなぁと思うのです。
これは商売人もサラリーマンも主婦も、同じです。
今「あぁ生存しとるだけやなぁ」と感じたそこのあなた。
今日から生活しませんか!
「人生は今日が始まり!」と思って。
理想を描かない限り、理想には近付かない。と思うんだけどなぁ。
理想を描いても、理想には中々行かないのが、これまた人生です。
が、死ぬまで生きる訳やから、この世に於いては一生いっぺんなんやから、
理想を描いたらどうなん!?
と言いたい。
そして、理想に向かって飽く無きチャレンジをしていて、大変なことに陥ったとしても、
つまり、如何なる状況に置かれようとも自分を見失わないことを自由な心と言うんです。
そうでしょう、どんな状況に置かれようとも、自分の心を確りさせんと、いかんやろぅ。
西洋で言う自由は「選択の自由」です。
好きか嫌いか、どっちにするか、を自分が決めるということを「自由」と呼んでいます。
が、東洋で言う自由は「如何なる状況に置かれようとも自分を見失わないこと」を自由と呼ぶんです。
この意味、深いです。
そうでしょう、どんな状況にあっても、自分の心は、自分が決めることが出来るでしょう。
これを本来、自由と先哲(先人の哲人達)は、言うて来たんだと感じます。
最近のテレビで下世話な事ですが、芸能人のW不倫とか、浮気とか、騒がれていますが、
これも聞いていると、目の前に魅力的な人が現れたから、ついつい心が動いてしまった。って。
これって「自由」でしょうか?
出逢いは「巡り合わせ」です。つまり運ですが、
別れは「努力」やと感じます。
昔から、変な男の屁理屈で「据え膳食わねば男の恥」と言う言葉を自分勝手に言う輩(やから)がおりますが、
ワシは敢えて言うなら、
「据え膳食わぬが、男の誇り」やな。
据え膳が用意されても食わない。
こういう男が増えてゆくと、女も自身の内面の良心が発露されてゆくのに、と感じます。
男がちゃんとすると、女もちゃんと成るんですね。
それが秩序です。
社長がちゃんとすると、社員も、ちゃんと成るんです。
上に立つ立場の者が、ちゃんとするから、
部下もちゃんと成ってゆくんだと思って「生存」じゃなく「生活」をしてほしいものです。
世の中には「分からんやつ」も、ようけおると思いますが「話せば分かる!」と思うてやらん限り、
通じては行かんでしょう。
忍耐強く、思うてやらんとね。
忍耐と我慢は全く違いますよ。
同じ「辛抱する」という意味ですが、忍耐の先には希望があるんです。
理想があるんです。
だから辛抱できるんです。
理想の為に、希望の為に、耐えることが出来るんです。
がしかし、我慢は、その先に希望も、理想も無いんですよ。
だから、我慢するなっ!
と言うとるんです。
希望も理想も無いのに辛抱しとったら、いつかあなたの身体に来るよ。
うつ病、ノイローゼ、内蔵疾患、などなど。
ええですか!
忍耐はせないかんけど、我慢はしたらいかんと思いますよ。
だから、理想を描いたら、どうなん?!と投げ掛けているんです。
人間なんやから。
志があるなぁと感じる人と、たまには晩めし食べたらええのに。
志があるなぁと感じる人と、たまには一緒に勉強したらええのに。
志があるなぁと感じる本を、たまには読んだらええのに。
心に「いい刺激」受けますよ。
自分の心の栄養になりますよ、と伝えたい今週でした。