現在の天皇陛下の呼び名を今上(きんじょう)陛下と呼びます。
既に崩御されている天皇のことを、その時代の呼称で呼びます。送り名と言います。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇というように。
ですから、明治天皇も大正天皇も昭和天皇もご存命中は皆、今上陛下とお呼びしました。
天皇とは、
どういう人間か?
どういう仕事をする人か?と問われれば、ワシは一言で言うと、365日、国民の幸福(しあわせ)のみを願ってくれている人物であり、それを仕事としているお方です。と答えます。
東日本大震災の時、
今上陛下が、震災を被った方々を慰問した際、こう話し掛けていました。
「助かって頂いて、有難うございます。」と。
この言葉を聞いた瞬間、涙が込み上げました。
こんな言葉は出ませんよ。普通。出ますかぁ?
一般の人なら、こう言うでしょう。
「助かって、良かったですね。」と。
この違いが分かりますか?
また、天皇陛下は、展覧会などで絵画や展示物をご覧になる時、必ず、真正面から真摯な姿勢で見られている。例外なく、です。
決して、斜め方向から横目で展示物を見るようなことはしない。
我々は、どうでしょうか?
すべての相対する人に、
真正面から、真摯な姿勢で向かい合っているだろうか?
自分の偏見で斜めから相手を見てはないだろうか?
自分が急いでいるから、
気持ち半分で聞いてないだろうか?
相手が大変な目に遭っていたら、単に「大変やねぇ、頑張って下さいね。」って言ってないだろうか?
「大変だったでしょうが、生きていて頂いて、有難うございます。」って、言葉は出て来ないですよ。
今上陛下のように。
ここに、一般的な人達との教養や品性や思いやりや、人格の違いを感じざるを得ません。
また、自分の体調が優れなく、しんどかったり、興味が無さそうだったり、忙しかったりしたらついつい、お座なりに相手に対応してしまいます。
反省仕切りですね。
天皇陛下の人格を感じて、自分は思わず頭が下がってしまいます。
頭が下がると、自分の足下が見えます。
自分の足下を省みる習慣を身に付け、自分が、自分の周囲の人達に少しでも良い影響が与えられれば、と思うのです。
権力でもない、金力でもない、人格で以て、皆の心を一つにまとめてしまう。
つまり、権力で従わせるんじゃなく、またお金で言うこと聞かせるんじゃなく、自分の人格で、相手が心から従ってくれる。
これが人間の最上質の関係だと思って、人格を磨き続ける努力をしてゆきたいものです。
経営者は、自分の会社での人格に於ける、天皇陛下に成る努力をしてほしいものです。
週刊誌なんかは、何か悪いことをした社長や会長のことを「○○会社の天皇」と言う表現をするが、とんでもないことです。
全く天皇の意味を知らん輩の言です。
どうせ書くなら、○○会社の王様と書いてくれっ!と思ったものです。
諸外国の王様には、権力があり、金力があって国民を従わせる傾向があるが、
天皇には権力も金力も無い。発言の自由も無いんです。
ただ立ち居振舞い、人格を以てのみ、人の道を自ら示されているんです。
経営者には、人事権、経営権があります。
あなたの人格を社員が見て、感じて、人の道の仕事を歩もうと研鑽してもらう為に、、、、、。
社長じゃない人達も同じですよ。
あなたの人格を周囲の人達が見て、感じて、人の道を歩もうと研鑽してもらう為に、、、、、。
斯く言うワシは「口は悪い柄も悪いが、内面は品がある。」
と昔誰かから言われた記憶があります。
女房からも言われます。
「あんたは内面の品はあるけど、口が悪い。ガラッパチや。」と。
そう言えばワシは、自分が気を置かなくていい間柄の家族や社員には、気に入らないことがあれば、瞬時にガラッパチになってしまう癖があります。口が確かに悪い。
昔からよく県外の知り合いになった女性陣からは、
香川さんの話し方は、何とも優しい言葉ですねぇ。
讃岐弁は優しいんですねぇ。と、多くの方から言われたものですが、全てに表現力豊かに、丁寧に話してるんでしょうねぇ。
がしかし、気を置かなくていい間柄の人には、ガラッパチ傾向になってしまう癖があるんだと思うのです。
歯に衣着せぬもの言いをするのを建て前としとるもんですから。
だから、ワシの身近な人達には、こう思って下さい。
ワシがガラッパチな表現した時は、気を置かなくていい間柄だと思ってくれてるんだと、、、ね。(笑)
それだけ、あなたの事に無意識の愛情があり、裸なんだと。
まぁ、そういうキャラなんだと、ね。
口は、お上品だが、内面が欲な、いやらしい人よりは、マシだと思うんだけど、皆さんは、どっちでしょうかね?(笑)