「運に選ばれる」思考と行動をしているんやろうか?と自分を振り返ってみて下さいよ。
「運を呼ぶ」もんじゃないと感じるんです。
「呼ぶ」とは自分の何か作為が加わる気がするんです。
自分から小賢しいテクニックを使うんじゃなく、運の方から自分を選んでくれているように感じるんです。
運が自分を選んでくれるような日頃の考え方や言動をしているか?どうかを、
ように内観してみたら、
ええと思うんです。
よく昔から「七転び八起き」と言われますが、ように、この言葉を観て下さい。
ハッ!としたんです。
人間は最初はちゃんと立ってるんやな、と。
転ぶというのは、立っているから、次に転ぶんですよ。物理的に考えると。
どんな人でも、産まれて来た時、本来は自立して来てるんじゃないか。
身体は未熟でも心は自立してるんじゃないか、と。
それを、自我で行動するのが人間やから、誤って転ぶんやなぁ、と。
転んで痛い目したら、少しは心も穏やかになり、自己反省し、気付く人だけが、運に好かれる考え方と行動をするようになって、また立ち上がれる。
こんな図式じゃないんかなぁ、と。
でも、喉元過ぎれば熱さ忘れる、で、また我欲で転ぶ。
学習能力を付けた人は、
同じ過ちはしないもの。
チャレンジして違うことで転ぶんです。
だから、違う事で大いに転んで、また立ち上がり。
これが出来る人が七転び八起きを可能にする人かと。
ようおるでしょ?!
同じ過ちを繰り返す人。
これじゃあ、七転び八起きは出来へんのじゃないか、と。
よう転んどる人へ。
頼むけん、違う転び方をしてくれよ。
その積み重ねが、あなたの心の幅を拡げ、人生の奥行きを深める材料に成るんじゃないかなぁ。と思う訳です。
人生、ホームドラマより、大河ドラマの方が、あなたの奥底の心は、喜ぶと思うんだけどねぇ。
一生一回や。
波乱万丈、大河ドラマで行きましょう!
まぁ、身近な思考習慣で例えると、あぁ、この話4年半前に中学一年生170人にしたんだけどね。
例えばAさんは、借金1000万あった。一年後に、何とか借金100万にした。
Bさんは、貯金1000万あった。一年後に全部使い果たして、借金100万抱えてしまった。
このAさんとBさん、同じマイナス100万や。
じゃあその時点での気持ちは、二人は同じかなぁ?と。
Aさんは、もうヤル気満々やわなぁ。後もうちょっとで、借金完済や!よっしゃあっ!ってね。
でもBさんは、うわぁどうしょう。貯金1000万あったのにぃ、借金まで抱えてしもうたぁ~。
同じマイナス100万には変わりないのにね。
気持ちは雲泥の差や。
ワシは、いっつもAさんのような心境なんよなぁ。
銭要らんのよ。
気持ちの持ちようには。
考え方変えるのに法律で銭が必要です。ってなこと無いでしょ。
如何なる状況になっても、絶対に「参った!」と言うてはいかんのです。
自分から、もう参りました。諦めました。となったら、そろそろ運を付けてやろうか、と神さんが応援態勢に入ってくれてるかも知れんのやから。
自分から、参ったと言う人には、神さんでも応援の仕様がないんやから、絶対に自分から「参った」と言うたら、いかんで。
耐えるんよ。ココぞ!というタイミングが来るまで。
ちなみに、うちの事例で例えるなら、うちはルイボスティーのメーカーです。
健康意識の高い、料理するのが好きな(お茶くらい毎日煮出すのが当たり前の)奥さん方を沢山持っている小売店に扱ってほしいのは山々ですが、既に他社のルイボスティーを扱ってたら、じっと耐えてチャンスを窺ってるんです。
20数年、理念に従った質を貫いて商いしていると、そうでない他社は自ら消えて行きよるんですよ。
そしたら、質の良いルイボスティーを、こちらの望むような小売店さんが、うちを探しよるんです。
当(まさ)に、運の方から来てくれる感じになります。
質を貫く者同士、巡り合わせてくれる感ありです。
毎日の仕事は極めて地味なことの繰り返しをワシはやってます。
準備をじっくりするんです。手を抜かずに。執念深く淡々と、やるべき準備を。
耐えないかんわ。
顕微鏡の如く緻密な毎日の業務が、来たるチャンスを掴むのよ。
我慢はせんでええけど、
忍耐せえ!
そして気持ちは
「心は、いつもベストコンディション」で。
負けたら、負けたらいかんぜよ~っ!