「行為(おこない)は心」だと昔から感じて来ました。
言葉より、その人の行為を観てれば、その人の心が窺い知れるものです。
正に、その行為はその時点での、その人の心の現れなんですね。
無意識のあなたの何気ない行為が、あなたの本心を現しているんですよ。
如何に社交辞令の行為が多いことでしょう。
他人に、自分が良く見られたい気持ちは分かるんだけど、社交辞令の行為は決して他人(ひと)に良くは見られていない。と自覚してほしいのです。
やっぱり本音と本氣の行為が、一所懸命さが、他人(ひと)の心を打つんですよ皆さん。
死ぬまで生きる訳ですが、何人の人と、メシ食べますか?
何人の人と、付き合いますか?
ホントに限られた人だと感じませんか。
縁ある人としか出逢わないし、共に仕事や付き合いをしてゆく人は限られているものだと感じたら、もっと出会いを大事に大切にしたいとワシは思って実践して来たし、しています。
何か物を買うにしても、その人の買い方を見れば本心が窺えますね。
口でいい事言ってても実際の買い物の仕方を見たら感じるものです。
その人の本心が。
バレバレやわね。
うちでは昔から社員に言うて来ました。
「出来ることなら、差し上げなさい。」
「ケチ気にするな。」
「その相手と良い付き合いしたいなら、まず自分がその人のお客になってあげなさい。」
「三回に二回は奢(おご)ってあげなさい。奢られる人生より奢ってあげる人生が楽しいから。」
こういう事をワシは約30年続けています。
自分のポリシー貫きたいから。
「気を遣うな。氣は配れ。」
と世の中の社交辞令大好き人間、パフォーマンス大好き人間の人達に言いたい!
時間だけは平等に過ぎて行ってるのに。
そんな偽者の人生を過ごしている人達の何と多いことか。
気を遣うと自分が疲れるものです。だったらするなっ!って言うとるんです。
氣は配るもの。
だから「気配り・心配り」と言うんです。
配ってあげることが出来ている人は、自分が充実しているから、お福分け(氣のお裾分け)が出来るから、疲れないんです。
本心だから、本音の気持ちだからです。
もっぺん言います。
時間だけは全員、
金持ちもそうでない人も、仕事熱心な人も、遊び呆けている人も、時間は平等に過ぎてゆくんです。
死ぬまで生きるんやから、限りある時間を社交辞令やパフォーマンスで使い果たしてほしくないんです。
志を立てて、それに生涯懸けてチャレンジし続ける人生を少なくともワシの縁ある大事な人達には歩んでほしいと願(ねご)うとるんです!