理解出来ないから信じることが出来ない。と思ってる人が多いんじゃないでしょうか?
ワシは、こう考えます。
信じるから理解出来るんだと。
賛同出来ないことに賛同する必要はありません。
価値観が根本的に違うなら、賛同する必要はないのですが、
価値観の違う人の言うことを信じようと思わない限り、理解には至らないんです。
そう思いませんか。
あなたが信じることが出来ない限り、相手を理解出来ることは有り得ない。
何事も『信じる』ことが出来れば、理解に向かえます。
信じる、信じないは自由。
何でも信じよ。と言うてるのじゃなく、
理解しようとするなら、
まず、信じなかったら、
始まりませんよ。ということを言いたいのです。
また、自分の先(将来)が中々見えない。
だから何をやれば良いかを決めることが出来ないと思ってる人も多いんじゃないでしょうか?
ワシは違います。
自分の将来像を決めるから、徐々に『見えて』来るんです。
何をやって行けば良いかが。
だから、まともな「トライ&エラー」が出来て、手応えを感じながら体験を積み重ねられるんです。
確固たる理想に向かってチャレンジしているから、
深く成れるんです。
強く成れるんです。
優しく成れるんです。
人は誰しも、自分の信じる、その人なりの思想哲学に無意識に従って生活していると思うのですが、自分の根底に流れている思考は自分をより良くしてくれる思想哲学なんだろうか?
と自問自答してみることをお勧めしたいのです。
『自浄作用』(自分で自分を浄化してゆく生活習慣)
しか、自分を生き生きさせる薬はありません。
ココに、
「ツキ」が付くか、
「運」が来るか、の分かれ目じゃないかと思えてならないのです。
自分の内面に存在する「良いもの」で、自分の「悪いもの」を直(治)してゆくしか浄化は出来ないと思うのです。
これを『維新』と言うのです。改良でも変革でも革命でもありません。
改良は基盤となるルールは変えずに能率を上げることであり、
変革はルール自体の変更をすることであり、
革命は基盤自体の変革であり過去の全否定です。
過去の文化、歴史を否定して新たな文化基盤を作ることが革命です。
維新は、自分の良さで自分の悪さを直してゆくことを言います。
相手を理解しようと思うなら、信じることです。
そして相手に理解してもらいたいなら、あなたの表現力を豊かにすることです。
あなたの表現力が乏しいから、理解を得られない。と、捉える素直さ反省心が大切。
これホンマなんです。
自分のことを分かってくれないと悔しいなら、あなたの表現力を、もっと豊かに磨かな、
いかんのちゃぁん!と言いたいのです。