たまに、友人経営者の幹部から相談を受けることがあります。
一般的には、幹部は部下の心を掴む努力をせよ。
なんて、言われてますが、ワシは違う。
幹部は自分の部下の心を知る前に、自分の仕える経営者の心を知ること。
下を見る前に、上を向くこと。
幹部は、トップの心を噛み砕いて部下に食べさす役割があるんです。
そうしないと末端社員まで、トップの理念を理解納得してもらって社業に取り組んでもらえないと感じるし、社員の幸福につながらないと思うのです。
その理由には、前提があります。
自分のトップが、
心から仕えるだけの、
人生を懸けるに値するだけの人間性と皆を導いてくれる能力を具えているか、ということなんですね。
そういうことが世の中を『しあわせ』にして行く要素であると思うから、トップは人格を磨き続ける、経営センスを磨き続けることを怠ってはいかんと思うのです。
ワシが心掛けていることをいくつか述べます。
『適温』の人間関係が心地よい。
相手が、自身の志を立てるキッカケになる気付きを与えるメッセージを発信する。(無言のメッセージもある)
周囲の人達の生活が、希望ある丁寧な生活でいられるよう願っている。
自然体の生活習慣。
自分の体調コンディションをいつも『感じいい』状態に保つ日常習慣。
自分の体調コンディションが良い状態で人と会うのが礼儀。
しんどい顔、疲れた身体で会うのは失礼。
心は、いつもベストコンディション。
物事や人間の本質的な美しさを観る習慣。
相手の心の琴線に触れる事柄に、そっと誠実に向かい合う心配り。
どうにもならない事に思えることには、焼け石に水を打ち続けてもいい、という心境で接する。
一瞬でも相手が心地よいと感じてくれれば、何かのキッカケになると思って。
大した事が出来なくても、存在として恰好(かっこう)が良ければ、背伸びする必要なし。
自分のダメなところも、
ありのままに見せる、
隠さない姿勢が恰好良い。
手は放しても、目は放さない。
目は放しても、心は放さない。
誉めて育てるの落とし穴。『また誉めてもらおう』と評価されるためだけに行動するのは、ニンジンをぶら下げて走らされる馬に、
陥り兼ねない。
結果、報酬を期待して働くだけ、という人間の卑しさがくっ付いて来る懸念あり。(物事に対して純粋な気持ちで取り組むという姿勢が育たなくなる)
努力でなく、工夫を自ら見せることで示唆する。
如何に工夫して愉しく出来るかの思考回路。
『綺麗事で飯を食う』という生き方。
『綺麗事では飯は食えない』というのは、言い換えれば、正しいことをしたら食えない。と言っていることに他ならない。
こういう事を心掛けているんです。
無理やりじゃなく、自分なりの自然体なんですね。
だから、心も身体も楽なんです。しんどくないんです。
楽だから、続けられるんですね。
お金の問題ではなく、ものの考え方、生き方の問題だと言いたいのです。
※途中からインスピレーションメッセージを読んでくれている皆さんに、ヤフーで「香川湧慈のインスピレーションメッセージ」と検索して下さい。
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