「適材適所」という言葉がある。
勿論社員一人一人の特性を見抜くということは、社員自身が気付いていない潜在的な特性つまり、
その人の持つ「光」を見出だしてあげることだと捉えているんです。
これは会社を越えても言えるんですね。
どういう事かと言うと、
他所(よそ)の会社では充分な仕事能力が本人が努力していても発揮出来ない人であっても、
自社だから高給が取れるだけの特性が発揮出来る人が居るんだと言いたいのです。
まさに、ピタッ!と填(は)まる。というものです。
同じ人間なのに、Aの会社では、努力しても充分発揮出来ることはない(月給16万くらいの能力しか
発揮出来ない)のに、
Bの会社で働くと、特性を充分発揮出来る(月給30万以上の能力を発揮出来る)人は居るんだという
ことなんです。
これは「縁」というものなんです。
巡り合わせの適材適所は、縁なんです。
縁深い者同士で仕事をするのが「いい仕事」が出来、心のコンディションが良い訳なんです。
だから「氣を遣う、心を配る」ことが身に付きやすい状況に成れるのです。
ワシは氣を「遣う」と氣を「使う」は区別してるんです。
気遣い=気配り・心配りなんです。
氣を使うは、似て非なるものとしています。
自分が良いように思われたい(世間体とか)から、氣を使って何かしてあげても、
相手も却って氣を使わせてしまい気疲れするのです。
で、自分も何かしら気疲れを感じるんです。
だから、氣は使うものでなく、氣は配れ。心を配れと言うて来ました。
自分の氣が充実しているから、相手に心のお福分け(最上級のお裾分けの意味)が出来、
自分も相手も、ほんわか「いい気分」に成れるんです。
要は、自分の氣が充実しているか、
しょうもないプライドで、ええかっこしたいだけで氣を使ってしまうのか、ということなんですね。
何が言いたいか。
自分の体調コンディションと心のコンディションを、いつも充実出来ているようにしてほしいのです。
その為には、自分の考えを掘り下げて、何度も掘り下げて、納得するまで深める習慣をもちながら、
深いものの考え方をしているだろうなぁと感じる本や講義録を読んだり、そういう人と触れ合う、
学び合うことが自分の心を氣を充実させてゆくのです。
毎日、同じ道を通って通勤してる訳ですが、たまには寄り道をせな、新しい空気を吸わないと、
マンネリというサイレントビージーズ(沈黙の病)になってしまいますよ。
名将は、雪を恐れず、霜を恐れる。んです。
つまり、雪は目に見えた、時に災害をもたらしますが、
目に見えているから対処対策が出来るんです。
がしかし、霜は音を立てずに、じわりじわり忍び寄って来て、
根っこを腐らすことを名将という人達は知っていたんだと感じます。
人生でも会社でも、その霜のことを「マンネリ」と言うのです。
人生マンネリ化に陥らないように。
会社の仕事もマンネリ化に要注意です。
よ~に、振り返ってみてはいかが?