今週は社長じゃない人達にメッセージです。
人生に於いて一番長い時間を「仕事」に充(あ)てているはず。
その仕事を通じてのみ、
人格は磨かれると思うのです。本を読んだだけでは、人格は磨かれない。
知識を身に付けて、仕事で実践する。さらに知識を深める。
そして人生で起こる、とんでもない出来事を、肯定的に受け止めることで磨かれるんだと思うのです。
「仕事」の多くは、会社での活動を言いますが、主婦業も(経済活動に直結しませんが)仕事ですね。
そもそも人格の低い人が「仕事」をして、いい仕事が出来るはずないと思うのです。
いい仕事をし続けないと、自分は充実した人生は歩めないし、他人に迷惑を掛けることになります。
人格を磨くとは、ワシはね、こう考えてるんです。
皆さん方自身の日々の仕事に対する「観点」と「感点」を磨くことだと。
観点とは自分の業務を観察することから始まるんです。電話の応対、帳簿の記入の仕方、
情報をタイムリーに共有する(業務は気付いた時スグ共有)習慣、等々。
そして、
人生観と社会観を深堀りしながら、磨くこと。
つまり、人生を観察するものの考え方、社会を観察するものの考え方を磨くことやと思うとります。
感点とは「もの事」を見て感じる感性を磨くことやと思うとります。
その為に非日常を体験したり、人に勇氣を与えたり、与えられたりすることを多く積み重ねるんです。
感動の涙を多く流すことやと思います。
仕事、会社に於いては、およそ「物分かりの良い」上司や社長の下では、
中々「一人前の人物」「人角(ひとかど)の人物」は育たないものやと思うのです。
「物分かりが良い」というのは「社員に迎合してしまう」ところに陥りやすからであり、
決して社員を鍛えてはくれないからです。
だいたい会社も習い事も、仕事や習い事に対して厳しい上司、社長、先生の下で、
観点と感点を積極的に磨いている人が、「一人前の人物」「人角の人物」に向かうのだと思えてなりません。
歴史を学んでも、
物分かりの良い師匠の弟子は、モノに成らない人ばかり。
一見ハチャメチャに見えるが仕事に厳しい師匠の弟子に「傑物(けつぶつ)」が出ています。
出ているんです。
相手(あなたのこと)を責めているんじゃない、ということが自覚出来ているんだと思うのです。
『責め心の無い厳しさ。』なんです。
一見優しそうな言い方じゃ、身に付かないと感じるのです。
(本人に甘えがあるから、なぁなぁ、まぁまぁになるからです。)
厳しく言うことが、相手(部下)のためだと信じて。
相手(部下)がカチン!と来るくらいが、相手の発奮につながるんです。
「くそぉ、二度と言われないようにしてみせる!」って、ならんといかんし、
二度と「同じミス」をしない人間(証拠になる)に成らないといかんと思うとります。
こういう実例から考えると、一見優しそうな言い方する人と、どちらが愛情があるのでしょうねぇ。
真の愛情とは、どういう姿勢を言うのか。
見せ掛けでない真の愛情が根底に流れている上司、社長の下で意欲的に働いている社員は、
「一人前の人物」「人角の人物」へ向かえる可能性があるんですよ。
もう一度言います。
自分の業務に「隅々にまで行き届いているか」だけを観察してみることです。
例えて言うと、自分が健康診断でガンが発見された。自分の子供にガンが発見された。としたら、
そこまで注意深く仕事をしていない人でも「どうしたらいいのか」を、自主的に積極的に、根掘り葉堀り
調べたり、取り組んだりするはず。
自分の与えられた業務も、それくらいの意識で取り組む以外に、隅々にまで行き届いていることには近付かないと思うのです。
人生で起こる様々な問題事を自分で迷わずに解決出来る人物になるために鍛えておかないと、
いかんのです。
部下のために上司があるのでなく、そういう想いのある上司のために部下があるんです。
だから、常に部下は、社長は自分に何を求めているのか、何を期待しているのかを察知して、
自分の役割を、そこまでやるか!くらいの姿勢で取り組むことが、結局自分を磨いてくれるのです。
「上に感謝。下に願い。」と言う言葉があります。
自分より下の立場の人達には、よりよくなってくれよ、と願うことしか出来ないと思うのです。
子供に対する想いも、それしか出来ないはず。願うことしか、ね。
誰だって、自分が好きな人には、優しく出来て当たり前。それを人格が高いとは思えないのです。
人生に対するものの考え方、捉え方を磨くことやと思うのです。
人間としての「温かさ」なんやと思うとります。
父親の厳しさと母親の優しさを兼ね備えた人間。
皆さん、
人間としての「温かさ」ってどういうことなんかを考えてみてほしいのです。
「心が芯から温かい人物」
を目指したいものです。
有情活理(うじょうかつり)です。
情が根底に有って、初めて理が活きて来るんですよ。