皆さん!
『目的』というものは、
ゴールじゃないんですよ。
そこんところを、ひょっとしたら皆、勘違いしとりゃせんかと閃きました。
目的は『通過点』でしかありません。
『百尺竿頭進一歩』の境地です。
百尺の竿の先に自分が来た時、よう前へもう一歩踏み出すか、出せないか。
その先に『自由の天地』が在ると信じ切れるか否かなんです。
目的の先に『永遠の世界』と繋がっているから、その先へ踏み出せるんです。
人生の目的、大儀を目指す中で、自分の中に眠る『理想』を掘り起こさないかんと思うとります。
そして、その自分の中に眠る理想をトコトン追求するから、確りした人生観が培われるんです。
だから、そこに『哲学』が生じるんです。
だから、先ずせないかんのは、何より『自分の中に眠る理想を掘り起こす』ことなのです。
理想は、単なる『わがまま心』とは違います。
多くの人が、単なるわがまま心に振り回されて、自分の心に眠る理想と、離れて行くようにしてしまっているんです。
自分の心に眠る理想を掘り起こしていると、徐々に『目的』が芽生えて来るんです。
そして、その目的は、魂の成長の一通過点。
という心境に成れたら、『永遠の世界』に繋がると思う訳です。
永遠の世界に繋がっていると自覚出来たら、恐れるものはありません。
極端に言えば、いつ寿命が来ても、覚悟が出来ているから、うろたえないで居られ、
充実した人生が日々歩めるとワシは思っとるんやけどね。
充実した人生を歩んでる人は必ずと言っていい程、『畏敬の念』をいつも心に抱いているもんです。
畏れ敬う存在が居てる人は『しあわせ』つまり、幸福だと思うのです。
畏敬の念を抱ける存在を、『師匠』と言うんです。
自分の人生を、より高みに導いてくれる存在が、人生の師匠なんです。
逆を言うなれば、畏れ敬う存在が居ない人は不幸だと思う訳です。
そういうことを前置きして、仕事の心構えのメッセージをします。
『どんな不況でも、需要がゼロではない』と思う訳です。
『今やっている仕事で飯が食えそうにないなら、今の仕事を止めても仕方ない。』
そんな思いで仕事しているから、段々『食えなくなる』のです。
それは『信念』があるとは言えない。
もし、食べれなくなってゆくようであっても『これだけ』は止めない。
というものでないと『信念』とは言えないんです。
単に業務レベル、事業の戦略、戦術のことを言っているんじゃないんです。
如何に己の中で変化してゆくか、が問われるんです。
自分の中で変化を見出ださん限り、通じては行きません。
(自分の怠け心との闘いなんですよ!)
だから『窮すれば(困り果てたら)、変ず(己の心を変化させよ)。変ずるが故に、通ず。』
なんです。
原因を探求すること。
責任追求じゃないんです。
原因追求が大事なんです。
原因を学んで、先を読むならば、慌てることが無いんです。
先が読めないから、疑心暗鬼になるんです。
だから、決断が出来ない。
そして世の変化に対応が出来ないんです。
自分の中に変化を創ること。
幹部足る者は、会社の業績のみならず『社員の心の変化に配慮できないかん。』のです。
あなた自身が何を以て『生き様』とするのか。が、芯に無ければ、充実は生まれません。
ワシの好きな武将である、楠木正成公は『義』(日本人の誇りを守るという義)が生き様でした。
部下全員が正成公を見ていた(尊敬し親しみを感じていた)から、正成公が『義』を説くことを通して、
部下自身が、自分なりの『向こう』を見ようとして来たのです。
これが人材教育だと思う訳です。
社長自身が己の生き様を貫いていれば、徹していれば、部下は大なり小なり、
自分の『向こう』を見ようとするものです。
そして、自分なりの『先が見えて来る』のではないかと思う訳です。
だから、諸問題に慌てず対処出来る人間に育ってゆくのだと思うのです。
何が言いたいか。
自分の大事に想う人には、愛情が存在するから、そういうことを『繰り返し言う勇氣』を持って下さい。
それが思いやりです。
愛情です。
これが一般的には、繰り返し、よう言わんのです。
保身心があるから。
他人から、よく想われたいという気持ちがあるからです。
哲学の確りある人は、同じことを言っても、相手への心の響き方が違うんです。
ひょっとしたら多くの人は自分の、鬱憤(うっぷん)を吐いてるだけかも知れません。
それは自分勝手というもの。
こう考えたらええのです。
その人と、自分の人間関係、信頼関係を考えてみれば、解ること。
自分の中の理想の魂が、その人に乗り移って、
自分に言ってくれているのかも知れないと、一旦考えてみる。そういう捉え方をして欲しいんです。
自分との信頼関係の無い人から、言われたとしても、
相手は自分に愛情で言っていないとしても、鬱憤を吐いてるだけだとしても、
あなたの捉え方を、客観的に観察するのです。
どこか、わずか一点でも、あぁ、そう言われても仕方ないところもあるかなぁ。と、
客観視する心の習慣を身に付けたらええのです。
それが哲学のある人物の心境だと思う訳です。
だから、永遠の世界に繋がれるんだと思うとります。
相手を責めてはいけません。
あなたの魂の親が、他人のフィルターを通して、自分に言ってくれているんだと捉えるのが、
心豊かな人間だと思うのです。
また、信念というのは、
自分の口から言うべきものではないんです。
自分を観ている人達が判断するものなんです。
自らに問い掛けた時に、
何が遭っても、やり遂げたい。というものを持つことが『信念』なんです。
目の前の事を、一つ一つ、『丁寧にこなす』ことが、信念ある人間に育んでくれるのです。
一つ一つ、本心から丁寧に、人に、物に、接していることが信念ある行動と言えるのです。
心の中に眠る理想に照らし合わせて、事業というのは、せないかんのです。
単に、儲かりそうだから、だけでスタートすると、
やがて虚しさだけが、生じて来て
『もう一人の自分』が『お前、そんな生き方でええのんか!??んん!』
って語り掛けて来ますよ。
ほんまに。