いつか必ず、何かを失うのです。
大切に想っている人も、
お金も、物的財産も。
そうでしょ。いつかは、失うんです。
けど失ってはいかんものがあるんです。
それは、
『志』『誇り』だけです!
それを『愛情』と言うのです。
これ分かりますかねぇ?
好き好きっていうのが愛情とは違うんですよ。
相手が『自立』と『自律』できるように自分の出来ることで、援助することが、愛情だと思う訳です。
その『自立』と『自律』を養成する源泉が『志』や『誇り』だと思う訳です。
志や誇りは、肉体寿命を終えても失うことはありません!!
物的財産は、肉体寿命を終えて、あの世とやらには、持って行けません。
そういう事は、誰しもハッキリ分かっているのに、
執着して、見苦しくなっている人がいる。
甲斐性が有る間だけ『所有権』という名が付いているだけやのに。
そうだと思いませんか。
本来、自分のものなんて魂以外は、何も無いのにね。
見栄、
しょ~もないプライド、
飽きることのない欲望。
こういう精神的なものは、あの世に引きずってゆくんですよ。
そして、何千年も同じ想念の人達と過ごすことになると思う訳です。
これこそ、地獄ではないでしょうか。
見栄っ張りの人達や、
しょーもないプライドの塊の人達や、
愚痴ばっかの人達や、
素直でない人達と、
何千年か何万年も同じ世界で過ごすことになるのよ。
だから、これこそほんまの『地獄』やと思うのであります。
嫌やろっ!?そんなん。
肉体のある人間としては、高々80年~100年ですが、
あの世は、自分が寿命を終えた時点の精神性で、同じ想念の住人達と何千年、
下手したら、何万年も一緒に過ごすことになると思う訳です。
だから、ワシは毎回言うとるのです。
飽くなき自我と闘いましょう。
志を立てましょう。
誇りある生き方をしましょう。
挨拶、返事、後始末キチンと。を日々の生活でちゃんとやろうや。って。
この3つ『明るい挨拶・素早い返事・後始末キチンと丁寧に。』だけなんよ。
続けていたら、必ず、志を立てることが出来、誇りある生活が歩めるようになるんです。
何も難しい事じゃないんです。幼稚園児に言うような、たったこの3つです。
話戻すけど、
生活に困ることのない銭を持っている人が、飽きることの無い銭儲けに躍起になっている様は、
やはり見苦しさを感じる。
そう思いませんか。
給料を払ってやらないといけない立場の人間が、銭儲けに躍起になるのは、当然のこと。
そこに、工夫と智恵と汗と感動の涙を注ぐことに充実が生まれるもの。
レッスンを積み重ねる。
それが結果、ステージでの自信になるように、あなたにとってのレッスンは何かを考えて、
それを積み重ねてほしいのです。
それが結果、人生を歩む自信になりますから。
もっと分かりやすく例えると、自分が思っていることを、書いてみること。
これは訓練(レッスン)です。自分が書いたものを、よぉ~く、読み返してみる。
思い(真意)を文字に出来ないことを実感するでしょう。
自分の思いですよ。
何で文章に出来ないのか?
この『思いを文章にする』という訓練を積み重ねていると、
実は、対人関係に於いて、自信が付くのです。
コミュニケーション能力が向上するのです。
やはり、充実の原点は、
コミュニケーション能力にあると思えてなりません。
コミュニケーション能力とは、決して饒舌ではありません。
『自分の真意を丁寧に伝える。』
『相手の真意を丁寧に受け取る。』
ということではないかと思う訳です。
そのレッスンとして、たまには、自分の思い、想い、念(オモ)い、を綴ってみて下さい。
練習はウソをつかない!
製品はウソをつかない!
技術はウソをつかない!
ウソをつかせているのは、あんたの虚栄心じゃないのでしょうか?
自問自答あれ!