『バランスが大切』と多くの人が分かったように言うてるけど、
ホンマに分かっとんのかいな?と感じてしまう事によく遭遇する。
大体(たいてい)の多くの人が、自分なりの言葉の
『定義付け』を考えもしないまま平気で、さも当然の如く、色んな言葉を使っているやろぅ。
そもそも『バランス』とは哲学的に言えば『中道』のこと。
つまりあなたの発言に、
『道』が存在していなければ、ならないんです。
ように振り返ってみて。
世の多くの人は、たぶん、自分の損得、好き嫌いで、物事を捉え、考えていると思うから
『道』に至っているかどうか??
今一度振り返ってみて下さい。あなたの普段何気なく発言している言葉を。
真のバランス感覚を持つということは、己が確りとした人生観、社会観を持って、
自分の損得、好き嫌いでなく、そこに『道』を見出せ、
他者に振り回されない『ものの見方、捉え方』が出来るということなのだと思う訳です。
(そういう学問しよりますか?)
だから、他人の意見を客観的に聴く事が出来、振り回されることなく、バランスが保てるのです。
つまり、どのようなものの考え方をしている人に対しても、相手が『うぅ~ん、なるほど!』と感じてもらえる道理が(あなたの言に)あるか!ということを言いたいのです。
それを、自分の説得力の乏しさを棚に上げて『あいつは、ダメや。よう分かってない。』と決め付けてませんか?
バランス感覚・説得力を、身に付けるコツだと思える一つを話しますね。
それは、些細な事に丁寧になっているか、ということです。特に仕事。
顕微鏡の如く『緻密に観察と対応』をしているか、ということなんです。
『一事が万事』なんです。
皆の努力が報われないのは些細な事への丁寧さが欠けている『まぁ、いいか。』という
一人一人の気持ちの隙に、魔が入るのです。
『隙間の間は魔』なんです。神道で言うと。
あなたのちょっとした
『まぁ、いいか。』が皆のツキを逃してしまう罪を作ってしまうと自覚して下さい。
仕事ってそういうものです。
人の心は、海の如く広く、深く、おおらかに。
人間はポカがあっていいのです。ちょっと抜けててええのです。
でも仕事は緻密に丁寧に。がワシの持論です。
だから、もしあなたが不平不満に過ごしているのであれば
(世の多くの人は、そうなんでしょうけれど)、
こういう勘違いに陥りやすいと思えてしまうのです。
自分はバランス感覚が良い『多様なる価値観』を持っている。と。
世の八割近くの人の意見を『常識』と世間では言いますが、
ではその『常識』は必ず人間の幸福に寄与するものなのでしょうか??
違うと思うのです。
だから、常識に振り回されては幸福を感じられないと思うのです。ワシは。
みんなが、そう言うてるし、、、とか。
みんなが、そうやってるし、、、とか。
そういうの止めませんか!
お前は、他人の人生を生きるんか!?
自分の人生やろ。
『多様なる価値観』を持つというのは、
己の哲学を深めていれば、相手の『異なり』が明らかに認められるようになります。
取捨選択が出来るのです。
振り回されないのです。
世の常識に振り回されている人(バランスの取れていない人のこと)が、
バランス感覚を持っている人の判断(言動)を見た時、バランスが取れていない。と
感じてしまっているのです。
そういう人達に対して、
あなたの方が、バランスに欠けている。『中道』じゃないのよ。と言いたいのです。
そうだと思いませんか。
世の多くの人が、自分の損得、好き嫌いでバランスを失っているのですから、
そういう人から、バランスを保っている人を見ると、曲がって見えてしまうのです。
ものの見え方ですね。
バランスが取れているとは、八方美人でなく、
確りとした迷いの無い自身の生き方の哲学を持っている人のことなのだと感じている訳です。
愚痴・泣き言は出ません。よぅ~し!どうするべ。という『工夫』しか。出えへんもんです。
バランス感覚を身に付けるもう一つのコツは『反省心』を常に持つことです。
ここで強く言いたいのは、反省は過去に対してするものではありません!
それは『後悔』というものです。
ここ勘違いしとる人がようけおるんじゃないだろうか?
『反省』は、過去に対してではなく、これから行なうことや、
将来に対してやろうと考えていることに対して『自らを省みる』ものなのです。
今、自分がやろうとしている事は、道理に適っているだろうか、
思い付きではないか、ということを確り捉え、己の良心を規範として、
過去の自身の体験と知識に照らし合わせ、如何に行動すべきかを考えることを、反省と言うのです。(自分の心に聴いてみよ!心が曇っていたら、聞こえて来ませんよ。)
常に、この『反省心』を、毎日毎日持つことが、実はバランス感覚を身に付けるコツなのです。
ワシは、毎日そうしてます。
そうしてても、中々目標を成就させて行くのが難しいのが、人生です。
でも決して諦めない。
何があっても起こっても、絶対に『参った!』と言わない。
I
NEVER GIVE
UPですよ。
自分が『参った。』と言ってしまえば、神様も助けようが無いんです。
ヤル気の無い人間には、誰も助けようが無いんです。
能力が乏しくても、ええのです。
才能が乏しくても、ええのです。
絶対に参ったと言わない、不屈の粘り、精神力さえあれば、必ず光が射して来るんです。
その為に、毎日曇りそうになる心を、自分が磨きながら澄ましてゆくのが『学問』をするということなんです。
自分の心が澄んで来ると、他人の心の曇りが分かるんです。
だから、曇っている人の意見に惑わされなくなるのです。
自分の人生、生き生きと明るく歩みたいなら、毎日、自分の心の曇りを拭うことです。
ほんまやで!
どんな人でも毎日ちょっとずつ曇るんやけん。
家の中の掃除も同じや。毎日掃除機してますか?
ワシ、毎日しとるで。
会社も毎朝みんなで、やっとるで。
だから、心地よい緊張感で仕事しとるから、全社員が毎日気合いとリラックスが融合しているんだと思うのです。
気付いたら、スグする!!
善い事も、悪い事も、毎日の積み重ねですから。
悪い習慣やなぁと感じてる事があるなら、それを断ち切るのは『勇氣』です。
自信が無くてもええんです!
勇氣さえあれば。
財産を失っても、心の痛手は少なくて済みます。
(ワシも恥ずかしながら、過去に自宅も何も物質的財産はスッポンポンになった上に個人で借金一億抱えたわ。苦節15年間で返したけど。心の痛手でなんて、無いもん。自業自得やしね。誰も恨んでないし。)
しかし、健康を失ったら、心の痛手は深いで。
(そういう人の心中察します。)
最後に、勇氣を失ったら、もう取り返しがつかない、、、、、、
だから!銭より勇氣持たんかい!!(笑)