皆さん方の自分の人生は、
大いなる『自業自得』です。
そして『情を以て、道理を説く。』以外に、あなたの気持ちは伝わりません。
しあわせだなぁと感じることが出来ているのも、過去の自分の考えた事と行動した事の結果です。
また、困ったなぁ、不幸だなぁと感じることも過去の自分の考えた事と行動した事の結果です。
原因つまり、あなたの考えた事と行動した事が『因』で、どういう『縁』に触れるか、出会うかによって、結果が否応なしに現れます。『果』です。
分かりやすく算数に例えると、原因(因)が2という数字で、出会った縁が4という数字なら、
結果は8になります。
(人間関係=人間の交わり(×)=掛け算ですから)
出会った縁が5という数字なら、結果は10ですね。
これを『因縁果の法則』と言います。
縁も実は自分の波動(考えと行動)が呼び寄せるんだと思えてなりません。
だから、どんな結果であろうとも、大いなる『自業自得』なんです。
ちょっとした事を大切に、大事にしているか、どうかなんです。
だから、他人の所為(せい)にするなっ!って言いたいのです。
ものごとの『ものの見方』で、自分の幸不幸は決定されると思うのです。
自分の心をいっつも、ほんわか、穏やかに、
しあわせいっぱいにしていたいなら、
縁ある周囲の人達に対して『慮(おもんばか)る』何気ない言動をし、続けて下さい。
慮りとは、分かりやすく言うと『深い思いやりの心』であり、相手が自立出来るよう心から支援することを言います。
それには、勇氣が要ります。自分が良く思われたいという気持ちを払拭しなければ出来ません。
相手に対する愛情があれば自分が出来ていなくても、相手が良くなる為の事は、言える、注意出来るはずです。
自分が出来てないから言えないというのは、相手に対する愛情が無いからです。
相手に対する『責め心』がある人は、言えないでしょう。
要は『愛情』か『責め心』かの違いなんです。
責め心を持ってはいけません。
勿論、自分も出来るよう努力するのは当然のこと。
そんなの当たり前です。
自分が出来て、相手に言うから説得できるのは当然で、納得もしてもらいやすいでしょう。
でも、自分が出来てから他人に言うのは、そう愛情を感じていない相手に対して執る行為です。
自分の家族、会社、チーム全体の発展の為に、お互いが注意し合える仲でないと、
そこに愛情は芽生えません。
愛情が存在する間柄だから、お互いが注意し合える仲なのです。
それが切磋琢磨できるのです。磨き合う仲は、積極的摩擦を起こすという事です。
『なぁなぁ』が一番自分も相手もダメにしてしまう、お互いの魂を傷付けることになっているんだと自覚して、精進しないと『真に生きる』ことにならないと思う訳です。
役割分担があるから、家族、会社、チームが成り立つのです。
人は、それぞれに特性があり、それを発揮し合うことが『和』ですから。
『お前も出来てないくせに、偉そうに言うな!』と言われても、そんなの気にしてはいけません。
そういう人は、言ってくれる相手の慮りの心が理解出来ていないだけなんです。
相手に対する愛情があるなら『繰り返し言う勇氣』を持たないといけません。
それが『育ち合う』ということです。
自分が喩(たと)え、誤解されようと、伝え続けるのです。
裏切られようと信念を持って、伝え続けるのです。
そうやって伝え続けるから、お互いが育つのです。
まさに『共育』に成るのです。
そんな優しく、逞しい人に成りませんか!
普段の些細な何気ない、
あなたの、ちょっとした言動(立ち居振る舞い)があなたの、将来の幸不幸を決定しているという自覚を周囲の人達に向け合うことです。
それが『仲間』です!
皆さんの職場で、この『仲間』を作っていますか!?
最初は、意識せな出来ませんよ。
車の運転と似ています。
免許取り立ての時は、言われなくても意識してるもんです。
身に付いて来ると、意識しなくてもスムーズな運転が出来るようになります。
人間関係も同じ。
自分の将来の心の安定、
充実の為に、周囲の人達に慮りの言動を今からして下さい。常に自分の心に問い直して振り返って下さいね。
今週言いたいのは『慮りの言動』です。
何気ない普段の仕草や言動に『情』が溢れてなければ、慮(おもんばか)ることは出来ません。
情を以て、道理を説くのです。
社員教育も、子育ても、
様々な指導も同じです。
情を以て、道理を説くことでしか、伝わらないし、
その相手が、身に付かないのです。
もう一度言います。
情を以て、道理を説いて下さい。
だから、毎週のメッセージを、ただ何となく読み流すのは、慮りとは言えませんし、
せっかくの発信者の慮りも受け取れないのです。
あなたが、毎週、あなたの仲間達の心の栄養の為に、メッセージしてる立場だったら、、、、、、と考えて自分に置き換えて毎週のメッセージを味わってくれる姿勢が、実はあなた自身の栄養になるのです。
感謝。