総理が変わることが決まった。誰が総理になろうと、これが大事なんです。
『具体策の無い理念は躍動しない!』これ真理やと思う訳です。
政府や各政党のメディアで政策を発信しているものに、全く具体策が無いと感じておる訳です。
具体的に、言っている事を、どういう道筋で実現させて行こうとするのか?
という説明がないと、躍動なんて、しない。
そうでしょう!
国会議員に哲学が無いんじゃないかと感じてしまう訳です。
『民意に従って』とか『民意に問う』って国会議員は口を揃えたように言って、
民意の多数に従うみたいな事が、国家を善くして行くと、本当に思っているのか?
(思ってないですよ、まともな人なら)
これ企業に当てはめたら有り得ない事です。
民意つまり国民の意見を十分に聴く事は大事なんですが、多くの国民の意見は、悪気はないんだけど、
自分の目先しか、見えてない。考えられない意見が多いんです。
会社の重要事項を従業員全員の多数決で決める会社なんて、無い!ですから。
『衆議独裁』という価値観が大事で大切なんです。
国民の多数の意見は、素直に漏れなく聴く。
その意見が、将来の日本国家つまり国民全体の幸福や充実に繋がる意見かを考え抜くのが国会議員の役目です。
会社も、働いてくれている人達の意見を素直に聴き、社長の価値観とを、
自身の腹の中で考え抜いて、社員達の意見が会社の将来の為になるものなら、
自分の意見は自身で却下すべき、なんです。
理想の案は大切なんですが、皆の協力の得られない案は、実現しないから。
自分の意見の方が会社の将来の為に成ると考え抜いた末、決断したら、
社員達を諭してゆくんです。
経営者は、説得力を身に付けないと皆を幸福に導けないんです。
衆議つまり、皆の意見を素直に聴く。
そして冷静に判断してゆく洞察力が求められます。
世の中にベストは無いんです。在るのはベターです。
ベターを積み重ねて、ベストを目指すのが、世の中をより善くしてゆく道筋です。
大体、国会議員の年収が多過ぎると思いませんか?
お金に困らない時期が長く続いていると、自分の実入りを削って他者の幸福に
寄与する具体的策なんて湧かないんだと感じてしまう訳です。
ワシの価値観では議員報酬、つまり中小零細会社の社長で言う年報だけにしたら、
例えは、議員報酬2000万円だけにして、
そこから社会保険料や介護保険料や所得税を引いた額で一年間生活や活動してみい!って思う訳です。
中小零細会社は、年間の粗利額の中から、事務所経費も、交通費も、社員の給料も社長の給料も、
その中から捻出してるんやから、
同じようにしたら『中小零細会社社長』の気持ちが体感できるであろうに。
中小零細会社の数値の目標額として、一人当たり年間1000万円の粗利額があれば、
経済的に心地好く生活できるもんなんです。
※社員10人と社長の会社なら11名だから、年間粗利額1億1千万円です。
パートタイム社員は、5人で年間粗利額1000万円です。
議員報酬2000万円を年間粗利額に例えてみたら秘書一人です。
国会議員本人と、秘書一人の二人所帯で年間2000万円。
社長と社員一人で合計二人で2000万円の粗利額と同じ。
その範囲で、やりくりしたら、中小零細会社の経営者の生活が体感できる筈。
何で国会議員は、給料意外に何千万円も支給されて、新幹線や飛行機は無料なんか。
秘書一人1000万円くらいですか?支給されて、プラス自由に使える金が、1200万円?ですか。
中小零細会社にも社員何人までは国から一人当たり1000万円支給してくれ。って思うわなぁ。
会社も同じ。
立派な経営理念を掲げていても、それを実現する具体策を明示出来なければ
『絵に描いた餅』です。
具体的にどうするの?を、常に明らかにしないと、理解も納得も、共感も得られる筈がないのに。
自分が感動した言葉や体験を結び付けて連想を広げて、その思索の束をまとめ
上げると、この瞬間に『論』が生まれるんです。
『論は点』です。
更に、その論を格言として圧縮するんです。
このプロセスを繰り返して行くと、身に付いて来ます。
感動から生まれた無数の論が互いに結合し、積み重なってゆく。
この抽象的な論を具体的な形にしてゆくんです。それを『説』と言います。
『説は線』です。
論と説を経て『学』へ至る。『学は面』です。
つまり、点を線にして面にしてゆくには哲学が要るんだと言いたいんです。
具体を積むには実践している人と交流し、
抽象を積むには知識豊富な人の話を聞く。
そのポジティブスパイラルが『学』として身に付いてゆくんです。
論、説、学が『道』に成ってゆくんだから、国会議員は具体を積む為に、実践者(中小零細会社の経営者)に、
意見を求めないかんのやけどなぁ、と思う訳です。
まぁ、意見を聞く交流勉強会を実施しても、
年間収入が『議員報酬のみ』という状態になっていないと、我々の意見も上の空、社交辞令に終わる気がするのは
ワシだけでしょうか?
『相手の立場になる』には、自分が相手の境遇と同じにはなれない訳やから、
ストイックに、相手の境遇を想像してみるしかないと思う訳です。
会社の社長も、自分の収入が、自分の社員の収入だったら?と想像してみたら、
見えて来るものがある筈なんです。
相手の境遇に立つ。
それが『思いやり』の始まりじゃないでしょうか。