巷(ちまた)では会社の成功像を、売上や利益や従業員数や店舗数等の『規模』で、評価する傾向が大ですが、もし、数値にしか価値を見出だせない人間性なら、それは余りにも詫びし過ぎませんか。
なぜ、会社で働く社員や、お客さんや関係先の人達の『人生の充実とは?』に
気持ちが、想いが向かないのか?
向いているなら、どういう具体策を実施しているんかなぁ、と思う訳です。
具体策の無い理念は、躍動しないんです。
成功とは『社会正義に則った、その人の描く成功像』に近づいている状態が
『成長』している。と言えるんだというワシの定義です。
様々な規模が拡大している状態が必ずしも、成長しているとはワシには思えないから。ひょっとしたら、膨張しているだけ?じゃないかと思う会社は多々ありますから。
いくら財務的優良会社であっても、社員一人一人が自分の人生で何が起ころうとも、自分で考え、困難を克服してゆく覚悟を持っている人間性を備えているという社風を築いている会社が、どれだけ存在するだろうか?
ということを問い掛けておる訳です。
社会正義に則っていない成功像は、そこに近づいていても、成長しているとは
言えないんです。詐欺行為で自分の望むお金や人を獲得しても成功と言えますか?従業員の低年収で利益を出している会社は、成功と言えますか?
或いは、社員の人生の充実に対して具体策を実施していないとしたら、
例え高給にしていても『労働と給料の交換所』にしかなっていないんですよ。
そういう状態は、社会正義に則った成功像でしょうか?
そう思いませんか?
あなたの『成功像』は社会正義に則っていますか?
人間の数だけ価値観が存在するんです。
だから、様々な成功像が存在して当然です。
社会正義に則った成功像なら、それぞれが目指す自分の成功像に、近づいて行く歩みをしたらいいだけです。他社を気にすることないんです。
『それぞれの会社の規模のモデル』を目指そうじゃないですか!
と言いたいんです。
会社の規模(売上・利益・従業員数等々)に囚われずに、自社の理想像を描いて
その理想像が、成功像が、全社員の納得共感があるから、一致団結できるんです。
社長の皆さん。
自分とこの従業員全員に、描く成功像が納得共感されていますか?
そう成っていれば従業員から社員に昇華していますから。
日本で社会正義とは?それは『人の道』に則った歩み、です。
組織の最小単位は家庭です。最大単位は民族です。
だから、その組織に於ける歩みに『人の道』が流れているか?!
ということです。
皆さん、自分を振り返ってみてみて。
あなたの言動に『人の道』が流れた言動になっていますか?
ワイドショー的な他人の事ばっかり話題にしていませんか?
他人は他人の人生であって、自分の人生を愉しむ話題にしないと。
また組織の最大単位である『民族』を越えて共通の社会正義があります。
キリスト教徒の社会正義は『聖書』であり、
イスラム教徒の社会正義は『コーラン経典』です。
では日本人は信教は自由ですが、根本的には『人の道』です。
だから当然、様々な社会正義に則った成功像が在るんです。
成功や成長というのを一律に考えてはいけません。
社会正義に則った成功像に、近づいている状態を『成長』しているんだ。
ということを、敢えて発信しておる訳です。
『異なりを認めながら一つを生きる』これが『和』の意味であり、日本古来の
定義なんです。異なりは認めるけど、一つを生きれないなら『和』には成り得ないんです。
様々な会社がありますが、その会社の成功とは、その会社が描く社会正義に則った成功像に、社員全員が、お互いの異なりを認めながら、会社の目指す成功像に心一つになって、近づいているなら、それは成長している状態だと言えるんです。
売上規模や利益規模や様々な数値が会社経営には存在しますが、
社会正義に則った各社なりの成功像に、近づいているか否か。なんです。
規模拡大が成功だ。と信じて歩む会社もあれば、
うち(エモーション)みたいに、社員1人当たりの付加価値額(粗利額)の向上や、
お客さん一世帯当たりの年間購入額の向上(それだけ支持されている証拠です)と、社員全員の精神性の高さや、心の温かさが、その会社の成長だという価値観もあります。
自社の、自分の、信念に裏打ちされた成功像に、近づいている状態で、成長して行きませんか。