昔から多くの中小企業の社長が規模(売上や従業員数や拠点数)を大きくすることが成功の証のような概念を持っている。
またそれとは別に規模なんて興味関心が無くバランス(社員の体調コンディションと
心のコンディションと経済のコンディションと人間関係のコンディションと仕事のコンディション)
重視の、ワシみたいな社長達も居ます。
昔から『社長の器以上に会社は大きくならない』という言葉に、哲学の無い社長達は、振り回されているんです。
そもそも器とは何か?大きくとはどういう状態か?
その納得ゆく答えも持っていない人が多いから、振り回されるんじゃないかなぁ、と感じる訳です。
他人の意見を無視せよとは言いませんが、振り回されてはいけません。
他人の意見を自分の人生哲学に当てはめて考えてみることを勧めます。
それが素直さじゃないでしょうか。
規模拡大は、自社にとっての『適正規模の確立』に向かっているのか?を省みることは大切です。
適正規模=ちょうどいい=皆が心地好い=持続可能なんです。
ワシの価値観で言うなら『会社は社長の人格以上の会社には成らない』んです。
この言葉なら、理解できませんか?
明確な、心底納得ゆくあなたの理想の会社像の『規模』の定義を、考えてみてほしいんです。
そしたら自社の納得ゆく『成長』の定義が見えて来ますから。
『会社は社長の人格の反映』なんです。
善い悪いじゃなくて、会社は社長の人格レベル、そして社長の性格のように成って行くんです。
中小企業で、だいたい10億以上の売上をしている会社は、やっぱり業務量が多く、複雑化している感ありです。
そういう会社で働いている従業員達は(敢えて従業員と表現します)
心穏やかに仕事できているんだろうか?どこか息切れ感は無いでしょうか?
会社は利益を沢山出しているんだけど、従業員の待遇や給料は良くない会社、
多いと感じます。また給料は多くても、長時間勤務だったり、職場の人間関係が心穏やかでなかったり、
心の解放なんて、別世界。
で、人格教育なんて、風土にして行こうなんて考えてもいない社長達。
だから、従業員達は、心穏やかに仕事できていないんじゃないかなぁと。
息切れ感を感じる会社も多い気がします。
そもそも何の為に会社は存在するのか?の、定義すら考えたことが無いんでしょう。そういう会社は。
自分の会社にとって『ちょうどいい』という規模を『経営のあらゆる概念』を整理するんです。
それが、経営者の先ず考える仕事やと思う訳です。
そしてその会社の社員全員が『合意と納得』ゆく説得力を身に付けないと、善い会社には向かわないんです。
うちなんか、メインのお茶が二種類。メインの化粧品が四種類ですよ。
30数年間で。で、業務内容は絞り込んでいるから、社員達は、合意と納得して『一点集中役割分担』出来ていますから。だから、その一点集中する業務に関する周辺に、多面的に配慮できるように指導しているんです。
『一流とは隅々にまで行き届いていること』がエモーションの目指している、
社員全員が心掛けていることなんです。
『シンプルに独自性を生み出し、深みが感じられるように』が、エモーションの経営基本方針だから、
それに沿った業務内容で仕事を実践しているから『ちょうどいい』規模なんです。
息切れしない、心穏やかに仕事したいから、複雑化したくないんです。
規模(売上や従業員数)を追わないんです。
自社で開発した、独自商品で勝負したいんです。
そして社業全般を他者が見た時『深いなぁ』と感じてもらえる社員であり、
業務でありたいんです。
経営者の人格レベルに会社は、向かって行きますから、つまり会社の人格が形成されてゆきますから、
経営者は人格向上に努めることに、終わりは無いんです。
エモーションの経営根本精神は『経営は人間学』だから、人を見抜く洞察力を磨き続ける学びを怠りたくないんです。
単に業務に従じて給料をもらう従業員ではなく、経営者の考えや、価値観に理解納得共感している『社員』を創って来たんです。
社業を通して、社員の心が澄んでゆき、精神性を高めながら、心温かな人物に導いてゆく指導力が、経営者には要求されるんだ。という信念なんです。
だから、経営者は人格向上の学びと実践に終わりは無いんです。
人が人を見誤る大きな要因に『先入観』があります。
自分の『我』が強過ぎる人の特徴です。
「あの人、我が強いなぁ。」と思っていてもその人を丁寧に観察していると、
先入観をほとんど持たない人だと感じられることがあるんです。
そんな人は『我』が強い人だとか、自己中だとは、言えないと思う訳です。
あなたに、人間洞察力が足りないだけなんちゃうかなぁ、と感じる訳です。
地声がデカイ人で、何でもガンガン行動している人を見て『我』が強い人やと勘違いしてませんか?
先入観を持ってしまう癖(クセ)が、人間の特徴なんやと感じます。
やっぱり物事は『本質を観る』そして『多面的に観る』仕事と人生は『遠くから考える』
この三つを総合的に備える人間性を養う行動しか、先入観からの脱却は出来んのじゃないかなぁと思う訳です。
人の性格とか運命とかを推察する学問が昔から色々ありますが、
四柱推命とか、何とか歴とか、占星術とか、算命学とか様々ありますが、
それを勉強して来たから、他人の性格や運命が分かる。というもんでは無いと思うんです。
なのに、そういう学問をカジッている人は、スグに他人を評論してしまう癖があるんやと感じます。
善い悪いじゃなく癖なんですよ。
ワシの価値観は、その勉強している人の人格レベルや、器量のレベルまでしか、分からないもんやと思うからです。
つまり、多少の勉強をしている人に、先入観を持つ癖が付きやすいんだと感じるんです。
だから、人生に覚悟を持って観念して勉強せな、モノに成らんのです。
こういうコトワザがあるでしょ。
『味噌の、味噌臭いは、上味噌に非ず。』
『如何にも』って感じる人は、その域には程遠いんです。
つまり一流の人物って肩書きを知らなければ『ごく普通の人』
つまり、ただのおっさん、おばさんにしか見えないもんです。
『如何にも一流』って見せてる人は『人物』には程遠いかも?
如何にも自分は知ってるぞ的な。生半可の半可通が、世の中多い気がします。
そう陥らないようワシも気をつけようと思う訳です。