『形の整いを美と言い、心の美しさを徳と言う。』
昔、浮かんだ言葉でした。自分でこの言葉を読んだ時、自分が浮かんだ言葉なのに、思わずグッと来ました。
シビれました(笑)ほんまやなぁ~って(笑)
うちのルイボスティーのミニサイズ商品で、自分の手土産用に『香川湧慈言葉シリーズ16選』を作っておるんです。
1:形の整いを美と言い、心の美しさを徳と言う。
2:厳しいから付いて来ないのではなく、信頼出来ないから付いて来ないのである。
3:プロに慣れはない。プロは、いつも初心である。
4:商売はセンスであり的を射た戦略。経営は人間学であり、人間としての温かさ。
5:変えようの無い事実を丸ごと受け止めて、工夫して歩むのが人生。
6:窮すれば、変ず。変ずるが故に、通ず。
7:生活のための夫婦でなく、夫婦のための生活を。
8:中立とは、どちらにも付かないのではなく、己を立てることを言う。
9:九十九の努力をした者にのみ、天は一を与えてくれる。
10:会社は社長の性格の反映である。
11:顔の作りは親の責任。顔の表情は自分の責任。
12:人間は、苦しい時こそ、普通のことが出来なければならない。
13:決意が責任感を生み、責任感が方法を生む。
14:相手を責める前に自らを省みよ。
15:感動は、言葉を超えた世界にある。
16:相手の心の読める苦労人。参ったと言わぬ器量人。
という自分の価値観を言葉シリーズにしています。
で、手渡したり郵送したりしてるんですが、贈る相手によって言葉を選んで渡しておるんです。
今この人には、この言葉が響くんじゃないか?と感じた言葉を贈っています。
『言葉の贈り物』と言う言葉を初めて知ったのは、ワシの好きな、俳人であり、禅僧だった良寛さんの言葉でした。
良寛さんは、金銭的には貧しい生活で一生を歩んだお坊さん。
お金や物が無くても、気持ちさえあれば誰だって贈り物は出来る。
常に、相手に対して、言葉の贈り物をして来た人でした。
なんて素敵な言葉なんだろう『言葉の贈り物』って。と感じたものです。
日本に有名で、代表的な俳人がいましたが、
小林一茶、松尾芭蕉、良寛。
小林一茶は『迷いの句』
松尾芭蕉は『求道(ぐどう)の句』
良寛さんは『悟りの句』とワシは感じて来ました。
小林一茶は、迷いの人生だったんかなぁ、と感じましたね。
『道』を求める人生を松尾芭蕉は歩んでいたんだろうなぁ、と感じましたね。
良寛さんは、悟った人やなぁ、と。
良寛の有名でワシの好きな句が二つ。
『散る桜、残る桜も、散る桜』
散ってゆく桜の花びらを見て、残っている桜の花びらも、やがて散ってゆく。
人生も当に散る桜。ワシは、昔この句を読んで感じたのは、
人間は長生きするのが目的じゃないなぁ、と思ったもんです。
人間は寿命で逝く。誰も分からない寿命で人間は逝くんだから、
寿命までどう生きるかが、つまり、今を『その氣で一所懸命』生きることが人間の美しさじゃないだろうか、と思ったもんです。
人生の散り際をどうしたいか、を考えるキッカケになりましたね。
良寛さんは人徳溢れる人格者としか思えないんです。心温かい人物だったんだろうなぁ、と思います。
もう一つの好きな句は『裏を見せ、表を見せて、散る紅葉』
これは良寛さんが寿命を迎えようとする臨終の寸前に、最愛の女性に看取られながら74歳で逝くわけですが、その時の句です。
こんな意味です。
あなたには(最愛の人)私の善いところも醜い悪いところも、全てをさらけ出して見せて来ました。
それを全て受け止めてくれたあなたに看取られて、あの世に還れることは幸福な人生でした。という意味の句です。
えぇ、皆さん!皆さんが臨終を迎えるその時に、時世の句ぐらい発して、逝きましょうや。
皆さんには、全てをさらけ出して、受け止めてくれている人が居ますか?
そういう人が、沢山居なくてもええのでは?
家族と社員達とごく僅かな友人だけで、ええんじゃないの?
欲気(よくげ)に、誰からも好かれようとせんでええんじゃないの?
身内にすら、さらけ出せない人達って多いんやろうねぇ世の中。
そんな、しょうもない事に気を遣わなくってもええんじゃないの?
氣を遣わないかんのは『本物を見抜く人』の眼を畏れて生きることなんです。
世間には、千人に一人かも知れんけど、本物を見抜く人がおるんです。
その本物を見抜く人の眼を畏れて仕事はせないかんのです。
この言葉は松下電器の創業者である松下幸之助さんの言葉です。
こんなエピソードがあります。
若手社員に『君、この座布団、前と後ろが反対と違うか?』と指摘したところ『前でも後ろでも一緒じゃないですか。座れたら、どっちでもいいじゃないですか。』と返答したため、
激怒して『そういう考え方をしている間は、絶対に一流に成れん!君なぁ、百人のうち一人かも知れん。或いは、千人のうちの一人かも知れん。世間には本物を見抜く人がおるんや。その本物を見抜く人の眼を畏れて仕事をせなあかん!』と、諭したんです。
『皆さんには、全てをさらけ出して、受け止めてくれている人が居ますか?』ですが、うちはハッキリと経営指針書に書いておるんです。
『社員と社員の家族とお客さんから愛され続ける会社を目指す。』
と明記しています。
一般的な、その他大勢の会社のように、利益額とか売上の大きさとか、従業員数とかの規模とか、こんな事業がやりたいとか、ではないんです。
こう説明も、指針書に書いています。
世間から、優秀な会社だとか、強い会社だとか、言われなくても、思われなくてもいい。
世の中には沢山、優秀だと言われる会社や、強靭だと言われる会社や、凄い事業をやっている会社だと言われている会社はあるでしょうが、ワシは、あんまりそういう価値観は無いんです。
縁あって長年共に仕事をしている社員と、その家族と、長年ご愛顧してもらっているお客さんという顧客から、愛され続ける会社で、あり続けたいという想い、願いなんです。
ごっつ儲けている会社でも、そこで働いている従業員の心と身体が疲弊していたり、従業員の家族から称賛もされない会社。関係先からも称賛されない会社。沢山あるんじゃないかなぁと感じる訳です。
それって『いい会社』ですか?何を以て『いい会社』と、あなたは定義しますか?
何事も『定義付け』することが上意下達と、下意上達が成り得る土台に成ります。
上達下達つまり、上の思いが下に伝わり、下意上達つまり、下の思いが上に伝わっている状態。
この関係こそが、組織の基本中の基本なんです。
上意下達、下意上達は人数規模は、ワシは関係ないように思うとります。
たぶん立志伝中の創業経営者は、社員何千人でも、出来得てたんじゃないかなぁ。
出光佐三さんや松下幸之助さんや本田宗一郎さんとか。
それが成し得て初めて売上とか利益とか事業とか、が生氣を帯びて来るんやけどなぁ。というのが香川湧慈の価値観なんです。
皆さんの価値観は?
最後に、一つだけ香川湧慈の人生観を謳った時世の句にしようと思っている句を昔、作りました。
20数年前に、この句を当時知り合いだった、70代の女性の俳句を趣味にしていた先生に見せたんですよ。
そしたらその先生曰く『えぇ、あんたこれ、ええ句やなぁ~!非の付け所が無いわぁ。あんた俳句一緒にやらへんなぁ?』って言われました(笑)
『いや、先生。僕は俳句のセンスは無いし、する氣も無いので(笑)すみません。』って言いました。
ワシの一番好きな花が『山桜』なんです。
一張羅の着物を作った時に、羽織の羽裏に、作家に山桜の絵を書いてもらったくらいですから。
香川湧慈の生き様を、人生観を謳った句が、これです。
『見む人の ためには、あらぬ 山奥の 己(おの)が 誠を 咲く 桜花』
五七五七七になってるでしょ。
意味は、山奥に咲く桜は、人に見られたいとか、見てもらうために咲いてるんじゃない。
まるで砂漠に咲く一輪の花のように。
人に見られようが、見られまいが、ただひたすらに、己の誠を咲き切ってるじゃないか!
人間は皆、心に誠が備わっている筈。
もし、その誠を咲き切らずに寿命を迎えたとしたら、何ともったいないことか。
ワシは、自分の誠を具現化したい。
誠を咲き切る人生を歩みたい!
誠を咲き切る会社を作りたい!
そういう経営をしたい!
自分の人生に責任を取ってくれる人なんていないのに、そんな他人事(ひとごと)な人達に見られるために自分の人生が在る訳じゃないんやから、
そんな人達を気にする人生じゃなく、
気にすべきは『本物を見抜く眼を持った人』だけでいいんです。
己の誠を咲き切る人生を歩みたい!という意味です。