目標を持つ方が善いのか?持たなくても善いのか?
ワシの価値観は、その人の特性、つまり体質に合っているか。ということです。
体質に合わないことをしても、心スッキリ歩めないし、充実に至らないと思うからです。
また、無理やり目標を持つもんでもないし、
目標ってのは、沸々と心の底から湧き出て来るもんやからです。
『有事』と『平時』では『目標』がある人と無い人に心理的違いが出ますから、
何が起こっても、ブレない人生を歩みたいなら、人生目的は、確固たるものを持っていた方が善いと思うんです。
平時とは、平穏な毎日が続いている。ということ。
有事とは、生活が脅かされる大変な毎日が続くことが予想される時と、解釈して下さい。
『平時』の時は、将来の目標を持ってなかっても、今を一所懸命にコツコツとやっていれば善いんです。
不安感は湧いて来ないから。
目標なんて持たなくても、今やるべき事を、一所懸命やるんです!
それが『今を生きる』ということやと思うからです。
今を真剣に一所懸命やれていなくて、何で将来が希望溢れるもんに成る筈が
無い!と思うんです。今を一所懸命やっている過程で、手応えを感じながら結果をデザインしてゆく人生を、
パッチワーク型人生とワシは言うてます。
つまり、今やるべき事をコツコツやっていると、結果が徐々に見えて来るというか、想像出来て来ますから、
自分の将来をデザインして行く、手持ちのもので結果をデザインするパッチワークキルトのようなものです。
逆に、将来像を明確に描き、その描いたパズルを、コツコツと埋めてゆく人生を、ジグソーパズル型人生とワシは言うてます。
ワシは明確なジグソーパズル型人生を歩んでいますが、基本がジグソーパズルで、日々の体験を通じて、ヒントを得ながら結果をデザイン(ジグソーパズルを完成してゆくデザインです)して行くパッチワークキルトを織り混ぜて歩んでいるかなぁ。
どちらが、自分の体質に合うか、ということを言いたいのです。
自分の体質に合うやり方で、日々を歩めば善いんです。
どちらを選らんでも、一所懸命コツコツやることには、変わりはありません。
しかし『有事』の時(まぁ今のような乱世の時代ですよ)には、
将来への、揺るぎ無い目的や目標が根付いている人は、忍耐できるし、心が折れないもんです。
逆に、確固たる人生の目的が根付いていない人は、人生目的を実現したいという目標が無い訳やから、
有事には、慌てるだろうし、不安感が沸々と湧いて来るから、耐えれなくなり、心を病んでゆくようになりますよ。と言いたい。
だから、自分の人生の経営者は自分なんやから『こんな人間でありたい!』という心底から納得ゆく将来像を、描くことを勧めています。
パッチワークキルトを一所懸命やりながら、
ジグソーパズルを描く人生を歩みませんか。