『多様なる価値観』を持つことが自分の人間の幅を拡げ、器を大きくする。
多様なる価値観とは、自分とは異なる価値観を明らかに認める。
ということです。
性格も、個性も、感覚も違う人のことを明らかに認めたら、ええだけのことです。
生まれも育ちも、人生体験も、環境も、人付き合いも、考え方も、好みも違うんだから、簡単なことよ。
あぁこの人は、こういう感覚で歩んでいるんやなぁ、と認めたらええだけなんです。
えぇっ?この人、こんな価値観なんやぁ。
まぁ自分とは全く有り得ない価値観やけど、この人は、そうなんやなぁ。
と認めてあげたら、いわゆる『区別』ができるんです。
『差別』でなく区別できたら、相手を認めることが出来ますから。
異なり認めながら、一つを生きる。
これが日本古来からの『和』と言います。
仲良くすることが『和』では無いんですよ。
ちゃんと異なりを認めたら、もう自分と感覚が違うからと言って、
イライラ😡⚡なんて起こらないのに、口では、認めていると言いながら、
イライラしてるとしたら、それは認めてないんです。
相手を認める、って、そういうことです。
ちゃんと相手を大らかな気持ちで観察したら理解できる筈。
理解はしても、迎合や妥協しなさいとは一言も言うてませんよワシは。
ちゃんと異なりを認めたら、腹は立たないしイライラも起こらないんやけどねぇ。と言いたいだけです。
大体のフラストレーション(欲求不満)は、この相手との『異なり』を認める素直な気持ちの欠如ですよ、あなたの。
世の中『異なるから、事が成る』んです。
親指、人差し指、中指や薬指そして小指が在るから、手として機能が発揮されるんです。
これ、親指ばかり五本だったら手の機能は果たせません。
心臓、肝臓、腎臓、胃や腸や、手や足、異なる機能が順調に働いているから、
健康体で居られるように、
世の中の社会も会社も異なる人達が、お互いを認め合うから、健康な組織に成って行くんです。
だから、自分と何か肌が合わないとか、価値観が違うとかで、いきなり拒否するんじゃなくて、
何か、お互いを生かせ合う事は無いのか?を見出だす思考は大切と思う訳です。
見出だせないんなら、スッと交わして行けばええんです。
つまり、諦めたらいいんです。
人間関係で諦めるというのは『明らかに認める』ということです。
同じ発音の『あきらめる』ですが、諦めると、明認(アキラ)めるは、
意味が違います。
商売も一緒です。
中々、上手く行かなくても、その事に意固地になるんじゃなく、
明らかに認めて、執念深く『諦めない』ネバーギブアップで!!
ワシは自分の人生目的は、何があろうと諦めないネバーギブアップの精神です。
生きる理想像やから。
皆さんも、自分の理想像はネバーギブアップの精神で諦めずに、
起こって来る事象は、明らかに認めて、対処して行きませんか。