先週のメッセージで、普通からの脱却を推進しましたが、皆さんの、血縁である身内で離れたくても離れられない身内の人って居るでしょう。
作家の下重暁子さんは『家族という病』という本を書いています。
ある意味、血縁の身内だから厄介な人達は、世間にはすごく多いんだろうなぁと感じておる訳ですが、
例えば、様々なことが『その人』に、伝わらない事、沢山あると思います。
何か打開策はないか?悩んで模索している人達は、多いと思いますが、
変えようの無い事実を丸ごと受け止めて工夫して歩むのが人生。がワシの生き様なんですが、
昔、詩画作家の星野富弘さんのドキュメントをテレビで見た時、凄いなぁ!と感じました。
26歳の時、事故で手足の自由を奪われて、口しか自分の意思では動かせないのに、口に筆🖌️を咥えて詩を添えて花の絵を描く作家です。
自由の利かない身体に『あぁっっ!』って、なってしまうのが普通の人間ですよ。
また、中村久子さんのドキュメントを見た時も、自分では耐えれんわなぁ、という感情が湧きましたね。
3歳で、両手足を病気の為に切断したんだから。
壮絶な生き様です。あのヘレン・ケラー女史が「私より偉大な人」と讃えた人です。
※星野富弘さんと中村久子さんのことはネット検索してみて。
そこまででなくても、視力や聴力が弱いとか、強情とか周囲の言うことを聞かないとか、皆さん、皆さんが自分が、その当事者だったら?と、想像してみたら、
悩みの種の、その身内の人の心の叫び声が感じ取れるかも知れませんよ。
この『相手の心中』を感じ取ってあげるしか他人は出来んのじゃないか、
と思う訳です。星野富弘さんや中村久子さんのように、当事者本人が自分の心を変えて行ったように、
自分の心の調和は生まれないんだろうなぁと感じます。
他人が出来る事はワシの実践で言うと、黙ってハグしてあげるだけ。
手を握ってあげるだけです。理由なんて考えない。ただ愛と情を以て抱きしめるだけ、やなぁ。
心温かきは万能なり。がワシの生き様です。
当事者からしたら、他人の心の温かさを感じた瞬間、、、、、『伝わる』んですよ。
当事者が自らの心の持ち方を変えようとするキッカケは、他人の心の温かさを
感じ続けた時しか、ないんやないやろうかねぇ。と感じる訳です。
身体の何かが不自由な縁ある人に対しては、自分が解決したい事を思うんでなくて、ただハグしてみてん。手を握ってあげてん。
恥ずかしさを超越する自分の人間性を豊かにしてゆくしか、相手を抱きしめる行為は出来ませんから。
それが出来たあかつきには、自分の人間性の幅が拡がり、精神性が高まっているから。
そうなって来ると今まで、鬱陶しい存在だった相手に、鬱陶しさが消えて来るようになる人もいるんじゃないかなぁと。ワシは、その昔そんな感情を覚えましたね。
今、渦中にある方へ、渦中にあると、渦中に居ることに気づけない人は、多いと思うんです。
だから、あなたの『勇氣』が、お互いの心の調和をもらたすんだと言いたいのです。皆さん、勇氣を失うことは、全てを失うに等しいとワシは思うけどねぇ。