長年、会社経営をしていて、業績順調で羽振りの良い生活をして来た人、多いと思いますが、いつまでも好調が続くとは限りません。
資金繰りの困窮状態が長年続いた時の経営者自身の心中が会社経営に向いている人か、雇われている方が向いている人か、に別れるように感じます。
どういうことかと言うと、たまに耳にするんよ、こんな吐露。
長年商売が好調やった人だから、羽振り良くやってたのが、
業界の景気の落ち込みや様々な要因で業績低迷。
銀行借入過多で返済困窮が何年も続くと、ポロっと『雇われている方が楽やわぁ』って吐露してる人。
こういう人は本来経営者には向かない人なんやろうなぁ、と感じてしまうんです。ワシは、どんなに資金繰りに困窮した事が何年、いや20年?今でも(笑)
続いていても、ただの一度も、元の銀行員に戻りたいとか、
どこかに雇われに行こうとか、露(つゆ)ほども、いわゆる『こっから先(指の先)』も思ったことは無いんよ。
如何なる状況に置かれようとも『雇われている方が楽』とは、思った事が無い人が経営者に向いているんやないやろうかねぇ。
たまたま商売始めた時期が、時流に乗ってたから、自分の狙いが当たったから、
金回りの好調が続いてた人に、多いんやないやろうか?
金回りが、困窮状態になった時の心境が『雇われている方が楽やなあ』って思う人は。
金回りが良かったから腹が据わっているように見えている社長達。
本当は腹なんて据わっていないんよ。
こういう人を見聞きすると、根本的に経営者に向いている人と、
勤め人が向いている人の違いを感じてしまう訳です。
己を知る。
ここがワシの根本精神『経営は人間学』なんです。
自分は一体、何者なのか?を悟る為には、
神道と仏教哲学を深く学んで行くしか、解らんと思う訳です。
ワシで例えるなら、エモーションの経営者である前に、香川湧慈である。
香川湧慈である前に、○○なんだ!と20数年前に、悟りました。
だから、如何なる状況に置かれようともブレない生き方で歩んでおられるんだと思う訳です。
生き方とは、考え方や捉え方や、行動習慣。食事や運動や、趣味や勉強の興味。
日常のライフスタイルが、徐々に自分の価値観、信念、哲学を形成します。
これらを総合したものが『生き方』やと捉えておる訳です。
あなたの『生き方』はどういうものですか?
あなたの心の姿勢と、行動習慣が将来を創るんです。
だから、如何なる状況に置かれようとも、明るくイキイキと自然体で居れる自分に成りましょう。
世の中、学校の勉強が出来た人が政治の中枢に座っている状況が、不幸から抜け出せない根本原因です。
腹の出来た人が政治の中枢に座らないと幸福な世の中には向かわないんです。
会社経営も同じ。
経営者は腹の出来た、胆の据わった人物でないと、社員は幸福に向かわないというのが、ワシの価値観です。
だからワシなんか、どんな小さな金額の注文でも、心の底から、
あぁ、有難うございます!って手を合わしてますよ、ほんまに。
心で手を合わす。胸に刻む。そんな心境で毎日毎日やってますぅ?
『あなたあっての私です。』この気持ち、大事ですよぉ。金額に関係なく。
そんな気持ちで毎日仕事してますかぁ?
人を教育するには涙が要るように、お客さんには真心が要るんです。
『おざなり』や『なおざり』になってませんか?あなたの仕事ぶりは。
『おざなり』は、御座成りと書きます。『なおざり』は、等閑と書きます。
『御座成り(オザナリ)』は、表面的に取り繕う言動のこと。
その場逃れに、いい加減な言動をすること。
『等閑(ナオザリ)』は、真剣でないこと。いい加減放っておくこと。
深く心に留めないこと。
一粒の米を粗末にする者は、将来、一粒の米に泣くことになるんです。
泣くような事が来るんです!それが人生やとワシは思うとります。
それを防ぐ教えが日本語にありますねぇ。
抽象的な言葉ですが、誰もが、その意味するところは感じられる言葉です。
『キチンとせえ!』『ちゃんとせえ!』お互いに💌