『金もぎょうさんほしい。あっ、でけたら女にもトコトン惚れてみたい。
まぁこれがワイの本音ですわ♪』
故、志賀勝のヒット曲『道』の『ワイは役者の志賀勝や。知ってる人はよぉ知ってる。けど、知らん人はまったく知らへん、、、』『こうと決めたらどこまでもぉ、やぁってぇ~やり抜くどぉ根性ぉ~っ!🎶』
セリフから始まる歌詞で、
ワイはエモーションの香川や、に替え歌して30代の時、よう歌うてました。
世の中、お金は大事で大切なんやけど、
✳大事と大切の意味、分かりますかねぇ?
こういう人達、居りませんか?
お金には困ることの無い家庭の収入が充分にあるんだけど、
仮面夫婦のような心通じ合ってない夫婦。
仮面夫婦とは言わないまでも、生活せないかんから只々、同じ屋根の下に住んでるだけの夫婦。✳こういうのは生活じゃなく生存なんやけどね。
ワシは自分の『語録』の中に、こんな言葉があるんです。
『生活の為の夫婦』か『夫婦の為の生活』か
『生活の為の夫婦でなく夫婦の為の生活を』というものです。
あなたは、どっち??
ワシの価値観は、夫婦の為の生活でなかったら、侘しい人生になるやろうと思う訳です。生活する為だけで夫婦で居続けるのは、やっぱり侘しいと思うわ。
夫婦二人で、どういう人生を歩みたいのか。という夫婦共通の目的が共有されていないと充実した人生には成って行かないんでは?
また『経済の為の人』か『人の為の経済』かというのもあります。
経済の為の人なら、人は経済を稼ぐ為の道具になります。
これを、会社で例えたら、社長は自分の野心の為の道具として雇用しているに
過ぎない。
また、そこで働く人達は、社長の野心の為の業に従い、労働を売って金と交換しているだけの従業員。と言う、価値観になります。
社長の野心の片棒担ぎの人達にしてしまうんです。
縁あって、共に働く会社の一員になったんだから、
社長の想いが、そこに集う周囲の人達の人生の充実に繋がる価値観なら、
従業員から社員に自然と昇華するだろうし、人の為の経済活動に成るんです。
人の為の経済活動であるなら、充実した人生を歩む為の仕事になり、職場に成るんです。
心通じ合わない仮面夫婦や『経済の為の人』の価値観で商売している社長達。
そういうの実際感じると、世の中やっぱり、天は帳尻合わせて来るんやなぁと
感じるんです。
お金は沢山あっても、夫婦仲悪く、お互いが関心すら無い。
子供がグレて犯罪に走ったり、辛い事に、自分が或いは身内に、病気で大変な思いをしていたり、悠々自適な生活を送りながら、突然心筋梗塞や脳疾患や末期がんになって寿命を迎えてしまう人を見ていて感じてしまうんです。
また、家族に身体に障害を持っている人(その当人には気の毒なんだけど)
が居たり、お金には困っていないが、毎日が『生存』で『生活』に成っていない、心にどこか穴が空いているというか、心通じ合える人が居ない人達や、
あの人、上手いこと儲けよるけど信頼でけへんなぁ。とか、様々です。
善い悪いじゃないんです。全てに於いてパーフェクトは、無いんです。
人生を、意氣に感じながら歩んでいる姿を『生活』と言うんじゃないかと思う訳です。
生が活性化している状態。ひょっとしたら、お金が有るから、人が寄って来てるだけ?人間的魅力で寄って来てるんじゃなく。
そういう金持ちも多いんじゃないかと思う訳です。
だから、謙虚な心を持たないと、充実した人生には、成らんのじゃないか?と
感じる訳です。
ワシの謙虚の定義は、ちょい深いんです。
トコトン自分が生き抜いて来て『あぁ~!自分がこの世に生まれて来た役割が、果たすべき役割は、これや!なぁ。』と、つくづく納得した自覚を、天命と言うんですが、その天命を自覚したなら、自分は役割を果たせているだうか?
と、振り返る心を謙虚とワシは思うてます。
謙虚って、控えめに見える外見ではないんです。
自分が、自分の役割を果たせているんだろうか?って、誰に指示される訳でなく、自然と自分の行動を振り返る心のことを謙虚と捉えておる訳です。
皆さんは、そういう心の習慣を備えていますか?
世の中、外見で大体は判断され勝ちですが、
その人の、心の奥底に潜む『良心』を捉える洞察が、やっぱり大切なんよね。
相手の心の奥底に潜む良心を捉えてあげる心が、人間尊重じゃないかとワシは
昔から思うて、そのようにして来たつもりです。
相手の心の奥底に潜む良心に心を向けてみてはどうですか?