ワシは約30年前から、経営に於いて独自性を持って『定義付け』をするようにしました。
自分が納得行く人生を歩みたいから、自分の納得ゆく定義を明らかにしていれば、他人(ヒト)に対して誤解を極力与えずに、自分の価値観を理解してもらえるからです。
四則演算だけは、つまり足算・引算・掛算・割算の答えは世界共通ですが、
それ以外は、人の数だけ『価値観』が存在していますから、ね。
皆さんは、自分が口にしている様々な言葉の定義付けをしていますか?
それ、せんから誤解されたり、思っていることを伝えたつもりが、理解されてないのよ。定義付けするには哲学が要りますよ。
哲学は、もの事を掘り下げて考えてみる習慣が、自分の考えや価値観を深める
ことにつながり、自分が納得ゆけば、それが自分の哲学を培ってゆきます。
物を動かすには道具が要りますが、人を動かすには哲学が要るんです。
自分なりの価値観が出来上がって来たら、自分なりの哲学に成ります。
そしたら、一旦自分の価値観を置いといて、違う価値観を聴いてみるんです。
そしたら、自分の心の幅が拡がるから。
多様なる価値観を明らかに認められると、迎合ではないんです。
自分の哲学が、より醸成しますから。
相手を否定するんじゃなく、区別できるように成って来ますから。
違いを穏やかに認められるように成るのよ。
そして、その価値観が異なる人達と、生きる価値観や人生を歩む方向性が、
同じ方向を向けるなら、つまり、その指に留まれるなら、そういう人達と仲間に成れますから。
異なりを認めながら、一つを生きる。
この状態を人間の本質的な『和』と言うんです。
『和』とは、仲良しを言うのではありませんから勘違いしないように。
相手の価値観を認めながら、自分と性格や趣味や好みは違えども、
生きる価値観や方向性が『一つ』に成れている状態を『和』と言うんです。
だから、そういう和に成れる人達と人生を歩めているなら、
あなたは幸福(しあわせ=仕合わせ)な状態ですよ、と伝えたい。
哲学を深める為に読書は良い習慣に成りますから、たまには立ち読みでもいいから、パラパラと立ち読みしてみて、一行でも胸に響く言葉を発見したら儲けもんです。価値がありますから。
読書は何の為にするのか?
それは、気づきを得たり、発見を得る為にするんです。
そういう習慣を自主的に持っていると、あなたがピンチに陥った時に、あなたを救ってくれる言葉が浮かんで来ますから。
斯く言うワシは過去に盲腸が腐るほど精神的にダメージを受けてたんでしょう。
脳は、どんな状況下でも『明るく、愉しく、生き生きと』なんだけど、
知らず知らずに、内臓に来てたんだと思うんです、当時の現実の状況が。
で、沸々とある言葉が湧き出て来たんです。
まるで映画のサブタイトルの言葉のようでした。
『24時間緊急病棟に駆け付けた家族の心境。絶望と戦い抜くこと。希望を信じ続けること。』という言葉が出て来たんですよ皆さん!
何か分からんけど沸々と勇氣が湧いて来ましたよ。
突然、もう一人の香川湧慈が、実況放送して来るんです、ワシに。
『さぁ!香川湧慈君、この難局をどう乗り越えるのか?!』って声が、実況中継の如く聞こえて来た事、よおありました。
様々な深い事、人間とは何ぞや!を自主的に学んでいたから、
インプットしていたから、自分を勇氣付ける言葉が湧き出て来たんだろうねぇ。
だから、勉強せないかんのよ。
『天は自ら助くる者を助く。』って言われる由縁(ユエン)は、そういう事かなぁと。
会社で言うなら、確りせないかんのは社長です。
縦糸を先ず張らねば、横糸を張ることが出来ないんだから。
縦糸は哲学に裏打ちされた目標。
縦糸をピンと張り横糸を渡して織り上げるから、紋様が出来る。
横糸の動きによって、違った紋様になる。
縦糸が社長。横糸は社員。
張っている状況とは、日々自分を新しくする努力のこと。
張るとは同時に引っ張ることと収縮を繰り返している状態のこと。
哲学に裏打ちされた縦糸を張りましょう。
それがスタートなんやけどねぇ。