『修羅場』には様々あると思うけど、
借金の修羅場。病の修羅場。人間関係の修羅場。
色んな人達を長年観て来て思うのは、修羅場を体験し、自分で克服して来た体験がある人は、何事に対しても『応用力』が身に付くもんやなぁと感じます。
経営は応用力がモノを言うんです。商売の経営だけじゃなく、人生経営も応用力がモノを言う。
誰も、修羅場なんて体験したくは無いと思うけど、好まなくて修羅場って体験するもんです。
修羅場を体験したことの無い人は、問題解決に当たり、杓子定規な対応しか出来ないと言うか、浮かばないんやなぁ、と。
その中に弁護士や司法書士の、通り一編な対応処理しかできない。
ひょっとして儲けにならないから、しない?人多いと思うなぁ。
やたらとテレビやSNSで宣伝が目立つものに『借金解決』の広告。
もの凄い広告費のはずやのに、ありゃかなり儲かるから、多大な広告費を掛けてでも充分な利益が見込めるからしょっちゅうやってるんですよ、皆さん。
ビジネスですから。
杓子定規な対応しか出来ないと感じるのは、終結が大体同じパターンやから、ね。ひょっとして、自分が儲けにならないから、違う解決策を言わないのかも。
まぁ、中にはそういう士業の人もおるでしょうが、ほとんどの人はそれしか知らない士業の人達、多い気がします。
以前、そういう人達に『こんな場合は、どうアドバイスしてる?』
って聞いても、ほぼ同じ返答だから、実際の流れって知らないんやなぁ、って感じて来ましたねぇ。
何でそう感じて来たかは、斯く言うワシは以前、借金地獄の最中に全て自分で交渉して来たから『流れ』が分かったんです。
で、何で?弁護士や司法書士は、そういう相談を受けた時、杓子定規な対応、
アドバイスしか出来ないのか?って、感じて来ましたから。
やっぱり修羅場を体験してないからかなぁ?って感じて来ました。
その点、戦前に弁護士に成った人達は、骨があったというか、人間として哲学を持っていた人が多かったように感じますね。
東京裁判(極東国際軍事裁判)の時、キーナン検事と渡り合って論破した清瀬弁護人や同じく東京裁判の弁護人で、元、日弁連会長だった和島岩吉弁護士のことは、エピソードをワシは知っていますから。
例えば、和島岩吉さんのエピソード。
昭和45年のとある日、ある都市の市議会議長が事件のことで相談に来た。
事件とは建築工事代金の支払いのことでした。
市議会議長は工事について欠陥があるとして工事代金の支払いを拒否し、
本人訴訟で議長が全面的に勝訴しました。請負業者の零細業者は不服であるとして控訴しました。
判決文を見るなり和島岩吉弁護士は、直ちに議長に対し
『君のような立場の人が、何で争っているんだ。全額、請負業者に早く支払ってあげなさい。』と言われ、全額を相手方に支払って事件は解決しました。
『君のような立場の人が、何で争っているんだ。』という意味は、
権力も金も社会的地位や名誉のある人が、弱い人間に対し、何を争っているのか。という意味だと思うのです。
法的な枠に囚われず、それを超えて人間的、人情的な解決をされたのだと感じます。
裁判で勝った市議会議長が和島弁護士の指導に、そのまま従ったのは、
和島弁護士の人柄や人格を尊敬していたからだ、と、
その当時(昭和45年)入所したばかりのワシの知り合いの西○弁護士から
『私が若い時には和島先生の事件処理の意味が、全く分かりませんでした。』と11年前に聞きました。
そして、こうも言われました。
『弁護士は、最初どの先生に指導を受けたかで、その弁護士の一生を左右するものであり大切です。短い期間ではありましたが和島先生から受けた教えは40年以上経った今も、私の指針となっています。
私は偉大な和島岩吉先生の指導を受けたことを心から感謝し、先生の生き方、
事件処理の万分の一でも私の生き方、事件処理に生かして生きたいと思っています。』と、直接聞きました。
まぁ何が言いたいか。時代劇で言うなら、遠山の金さん。大岡越前。
当時、北町奉行だった遠山金四郎や、南町奉行だった大岡忠相(タダスケ)のことです。
両者のような判断や、対処ができる人物を目指してほしい!と言うことです。
どういう事か?
遠山の金さんは北町奉行。大岡越前は南町奉行。
罪人に判決を下す時のテレビの決まり文句が
『やった事は打ち首獄門なれど、事情も、さもありなん。八丈島3年の島送りにする。』
つまり『人を観て、人が生きるように』采配する人物、応用力を身に付けた人物を目指しませんか。と言う今週のメッセージでした。