長年親しく交流していた仲だったのに、突然今までのような感情での交流や会話が乏しくなってしまい『心理的距離感』を感じるようになった事がある人へ発信します。斯く言うワシもあります。
ワシは、理由は詮索しない性格なので『あぁ、向こうの世界(他界)での縁に寿命が来たんやなぁ』と思うようにして来ました。
そういう経験のある人おるでしょう。皆さんは何で?って、詮索してませんか?
詮索して、どうにか成るんですか?って言うときます。
神道や仏教では、向こうの世界(あの世)が、真実の世界で、
この世を『現(うつし)世』と言います。
どれだけ仲が良かっても、ある日突然、縁が薄くなることがあるんです。
人間に寿命が来るように、縁にも寿命が来るんだと思うんです。
でも縁は、将来再び、結び会うこともあるかも知れんのです。
だから『縁を尊ぶ』ことを実践すりゃあええのです。
縁を尊ぶとは、例えば昔、騙された、利用された。という人があったとしましょう。でも、将来何か起こって窮地に陥ってしまった時に、その自分を騙した人が将来の自分を助けてくれる人間になっているかも知れんのです。
仮初めにも縁が出来たんなら、何も誰でも彼でも仲良く付き合いなさいとは一言も言いません。
ただ、縁を尊ぶという気持ちは、持っといたらええのに、と思う訳です。
日本人の魂に備わっている価値観なんです。
そういう価値観が無い人は、たぶん、日本人とは何ぞや?人間とは何ぞや?
を、勉強する機会がなかったから知らないだけやと思います。
例えば道徳。
日本人には道徳があります。モラルとは、ちょい違うんです。
道徳とは人間の真心から自然に湧き出るものを言います。
それに対して、外国は道徳という概念ではなく、モラル。
モラルとは法律に従うことを指します。
こういう様に日本人と外国人とでは根本が違っているんじゃないかと感じるんです。
会社に置き換えると、ワシの経営の根本精神が『経営は人間学』なんですが、
つまり、人間にとって何が楽しみかということを昔、ワシは考えてみました。
家庭で例えるならば、
母親が子供に「好きなことを勝手にやっておきなさい。」と言われれば、
子供は、これが一番楽しいだろうし。会社で言えば、社員の性格に向いた仕事を与え、適材適所で自由にやらせれば、これが一番愉しいに違いないと思うんです。✳楽しいと愉しいを区別してますから(要注意)
うちは、自由はあるが権限の規定なんかは無いんです。
仕事のやり方の思想哲学は確り教えますが、皆、各自自由に仕事をやってます。
社員が一所懸命自由に仕事をすれば、成績がいいに決まってるんですよ。
一所懸命です。ただ自由に、だけでは成績は良くなっては行かないんです。
『一所懸命に自由に』です(笑)
それでも人間であるから『人間らしいしくじり』をやるもんです。
斯く言う社長のワシもしくじることがあるんやし。
人間らしいしくじりは咎(とが)めたことはありません。
これも、外国の対立闘争の経営法では罰したりしますからね。
始めに利益ありき。が外国の経営思想。
始めに人ありき。が、日本的経営思想です。
高度成長期時代は『お金万能』時代。昭和後半からは『学問万能』時代。
ワシの価値観は、学問は充実した人生を生きる為に必要。
それ以外に人間というものには尊い霊とか、因縁、運命とかいうものが存在することを忘れてはならんのです。
例えば天気予報は完璧に当たらない。
経営学者の言うことも天気予報と変わらへんなぁと思う訳です。
一つのモノサシには成るが、経営は天気と同じ様に生き物やから、
経営には、学問プラス人情が必要なんだ。と皆さんに強く言いたい訳です。
それが経営であり、人間の尊さであり、世の中の難しさです。
人情とは、相手の心理状態を慮って、相手を責めないこと。
良かれと思って言っている。と言いながら、実は自分のしてほしいように話してるんですよ。皆さん、それやってませんか?
相手が、若干でも強要されていると感じてるなら、やはり責め心があるんです
あなたに。
呼吸を合わすことと、歩幅も合わしてあげることが、優しさやと思う訳です。
人それぞれ、性格が違うんだから、能力が違うんだから、心中察してあげる、
あなたの心の許容量や寛容量が、人間関係は大切です。
だから、ワシは昔から人間とは何ぞや?
日本人とは何ぞや?を勉強せないかんよぉ。と縁ある人達に言うて来たんです。
どうか、呼吸と歩幅を合わすことを意識してみてほしいなぁと思う訳です。