昭和、平成を代表する希代の名経営者である京セラ創業者稲盛和夫さんが90歳で逝去されて約一ヶ月になる。
今週、NHKで8年前に放映された『100年インタビュー稲盛和夫』という番組を録画
していて見ました。
ちょうど日本航空再建した後の時期で、如何に当時の日航幹部達の官僚化していた思想に稲盛イズムを注入して行ったか、が語られていました。
また、稲盛さんと言えば第二電電設立(現在のKDDI)時の初代会長で、電電公社(現在のNTT)に立ち向かって通信の自由化に貢献した人物。
(初代社長は京セラ副社長の森山さんを稲盛さんが指名)
皆さん、第二電電が出来た経緯、知ってますか?
実はこのエピソードを知ってるんです。
当時、中曽根総理からウシオ電機創業者牛尾治朗さんに『電電公社の競争相手を探してくれ』と頼まれ、ベンチャー経営者仲間で一歳下の京セラ稲盛さん当時50歳、二歳下のセコム飯田さん当時49歳、に声を掛け、牛尾さん行きつけの、
赤坂の料亭で綿密に三人で策を何度も何度も練ったそうでした。
後に『今をときめく若手No.1だ』と、牛尾さんが連れて来たのが、
通信に大いに興味を持っていたリクルート創業者の江副浩正氏。
牛尾さんは、リクルートを第二電電の看板にと考えていたらしく、
自分のウシオ電機は優良企業だが、最終製品を持たない会社だから知名度が
低い。セコムも縁の下で社会を支えるタイプの会社だし、稲盛は中小企業経営者に絶大な人気はあるが、お茶の間で知られるほどではない。
(一般サラリーマンや主婦には、知名度は無かった)
これに対しリクルートは派手にテレビCM を流し、知名度は抜群。
という考えだったと。
ワシは実は2兆8千億円企業リクルートを、学生起業家として創業した江副浩正さんの創業から、3000億企業になるまでの感性が好きでした。
(それ以降の感性は違うなぁと感じていましたから)
『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。』がリクルートの経営理念でした。
この経営理念(1988年のリクルート事件以降に、この理念から現在の理念に変更)は、今はリクルートから消えてますが、
リクルート出身者は、今でも、心震える理念で、今でも自分の芯に成っている。と言う人は多いようです。
このリクルートの創業経営理念は、あらゆる企業の社員に言い得ている考え方
じゃないかと感じますね。
余談ですが、あのアマゾン創業者ジェフ・ベゾスが勤めていた会社をリクルートが買収し、一時期、江副さんの直接の部下として、後のアマゾン創業者ジェフ・ベゾスが働いていたんですよ。
そこで江副さんが描く構想がクラウド・コンピューティング・サービスでした。
世の中にクラウドビジネスが存在しない時代でした。
その構想を部下として聞いていたジェフ・ベゾスは、後にアマゾンを創業し、
世界のクラウド・コンピューティング・サービスのインフラAmazon.com のAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)を開発したんですよ。
如何にリクルート江副さんの事業の先見性やビジネスの手腕が凄いものだったかが窺い知れる訳です。
話を戻します。
で赤坂の料亭で牛尾、稲盛、飯田、江副の四人が策を練っているところへ、
大先輩である、ソニー創業者の盛田昭夫さんが『僕も通信には大いに興味があってね。君たちが本氣でやるなら、応援させてもらうよ。』と、部屋に来て言った、と。
突然の申し出に『世界のモリタ』に応援すると言われて、嫌とは言えない。
そうして、誰を看板にするか、で悩んだ末、
戦後シベリア抑留から帰国し、後に伊藤忠商事の相談役に成っていた、元旧陸軍作戦参謀で、当時中曽根総理の知恵袋でもあり、土光臨調のご意見番でもあった瀬島龍三氏に相談に行った、ソニー盛田さん、ウシオ電機牛尾さん、京セラ稲盛さんの三人。
瀬島は先ず、プロ野球巨人の駒田は4番を担える器で、槇原はいずれエースに
成る素質がありますね。と緊張をほぐす話題を通して、人選に関する持論を述べた後本題に入った。
『ここはひとつ、稲盛さんにやってもらってはどうだろう。理由は三つ。
一つ、電電公社が盛田さんの会社(ソニー)の大口顧客であること。
世間には電電公社に弓を引いたと騒ぎ立てる者もあるだろう。
次に、盛田さんが近々経団連の会長になること。こういう公の立場の長が公社
相手に競争は、世間的にまずい。
最後に、稲盛さんが若々しい志を持っていること。
僕は、そこに賭けたいと思う。盛田さんには、大所高所からのアドバイスをお願いしたい。』で決まったんですね。
時の中曽根総理に国のグランドデザインを任された瀬島に、こう言われては
『世界のモリタ』も逆らえない。この瀬島さんの簡潔明瞭な返事。
『先ず結論を述べる。その後、簡潔に理由を挙げる。』
稲盛さんが第二電電の経営者に選ばれ、株主構成、外部役員人事を実施した際、
何故、同じ若手創業経営者のリクルート江副さんを外したか。
稲盛さんには『大義』があっての創業だが、
江副さんには『野心』しか見えない。そこに、危うさを感じた、と。
稲盛さんは『大義』の為に立ち上がった。
江副さんには『野心』しか、見えなかった。
皆さんは大義ですか?野心が最終ですか?あなたの最終到達系は『何?』
今週は、これを投げ掛けますね。
最後に付け加えで。
欲しい人材を獲得する稲盛さんとリクルート江副さんの実話を。
これには共通していることが感じられるんです。
第二電電スタート前に京都商工会議所副会頭を務めていた時、稲盛さんは講演に呼ばれることは多いが、自分から他人の講演を聞きに行くというのはめったに無かった人でした。
京都商工会議所主催で当時電電公社の技術者の『超LSI(大規模集積回路)の発展と高度情報化社会の実現』というテーマの講演会に、勝手が分からない通信については貪欲に学ぶ姿勢があった稲盛さんは、聴きに行ったんですね。
で『公社の人間』らしからぬ発言主張。
『高度情報通信システム(INS)が社会や企業を一変させる。私は電電公社の先頭に立ってI N Sを普及させます!』と、まるで自分が電電公社を代表している話ぶりに興味を持ち、講演会終了後に喫茶店に『ちょっとお話しませんか。』と誘ったとのこと。
技術者は、自信満々に『私の講演、どうでしたか?』と稲盛さんに言いました。
稲盛さん『INSで通信が自由化する。というお話は大変、面白かった。
ただ、失礼ながら保守的な電電公社の中で、あんなことを言っているあなたは、社内で多少、浮いているのではありませんか。』
と言ったら、ギクリ!として(このオヤジ、とんでもない人だぞ。と思ったそうで)
当に図星!
稲盛さん膝を乗り出して、こう切り出した。
『ところで、あなたの言う通信自由化だが、全国津々浦々まで通信網を持っている電電公社に、新規参入の会社が勝つには、どうしたらいいと思いますか』の
質問をした。
『それはですね』と、その技術者は喫茶店のテーブルに置いてある紙ナプキンにペンで一本の線を引き、線の両端に東京、大阪と書きながら、持論を説明。
稲盛さん『なるほど』
で『ここだけの話だか私は新規参入を考えている。電電公社と競争するのです。
通信自由化は100年に一度のチャンス。どうですか、電電公社でくすぶっていないでこちらに来て思う存分腕を振るってみませんか。勿論、一生のことですから、ここで決めろとは言いません。じっくり考えて、お返事下さい。』と言って名刺に自宅の電話番号を書いて渡しました。
この言葉に、技術者は自分のようなタイプの人間が、このまま電電公社に居ても、出世出来るとは思えない。
100年に一度のチャンスを捉え、外で暴れた方が、はるかに人生面白そうだ。
と、後に第二電電(現在のKDDI)に転職。基礎作りに大いに貢献した人物に成ったんです。
先のリクルート創業者の江副さんも、いい人材を見抜いてスカウトする感性が、素晴らしかった。
リクルートの『あなたはどうしたいの?』という文化を作ったのは、
創業者江副さんの価値観の賜物。
✳あなたは、どうしたいの?とは、結局、自分は何をしたいのか。を徹底的に
突き詰める文化。(内発的動機)なんです。
これに対し外発的動機というのは、報酬や、昇進による動機付けのことを言います。
江副さんは、社員数が1000人くらいになるまでは、新卒の学生面接者達に直接会って、必ず、こう言っていたんです。
『君たちは、22歳までは先人が創った歴史を学ぶ立場だけど、23歳からは、
自分で歴史を創る立場になるんだよ。うちの会社なら、それが出来る。
自分の仕事は自分で作りなさい。』と、必ず語っていたと言われます。
『自分の仕事は自分で作れ』の精神は、リクルートでは、圧倒的な当事者意識と成っていました。
流石は、起業の天才!江副浩正。
欲しい人材を入社させたいなら、
その人が『希望に満ちる将来』を抱かせる言葉と、実務が要求されますね。
社員が、希望に満ちる将来を抱かせていますか?!
それが可能と成るキャリアプランを実施していますか?!
そこに稲盛さんのような、人間としての道が説かれていますか?!