『何ごとの、おわしますかは、知らねども、かたじけなさに、涙こぼるる。』
こういう感情に浸ることがたまにあります。
八百数十年前に実在した西行法師の言葉ですが、こういう意味です。
どういう方が居るのかは知らないけれども、畏れ多く、有り難い気持ちで一杯になり、涙が滲み溢れて来る。
という意味です。
ワシは昔から、こう置き換え、捉えて来ました。自分流に置き換えるのが、しっくり来るからです。
『何者が座(おわ)しますかは、知らねども、かたじけなさに、涙こぼるる。』と。
『なにごとの』より『何者が』の置き換えがしっくり来るから。
何者とは、自分をこの世に産み出してくれた魂の親である主護霊さんのこと。
『座(おわ)しますかは、知らねども』誰が居てくれているのかは知りませんが。
ということ。
『かたじけなさに、涙こぼるる。』
ただ、有り難さに涙が滲んで来る。という意味です。
商売が中々、思うように受注がない日々が続いている時、突然思いもしない人から、受注が来た時なんか、
あぁ、有難うございますっ!って、思わず、瞬時に感謝の念が込み上げて来て、
あぁ、主護霊(前世の自分のこと)さんが、向こうの世界で自分の為に動いてくれたと、感じてしまうんです。
だから、主護霊さんが何者なのか?誰かは、分からないけれども、ただ、ただ有り難さに涙が自然と滲み出て来るんです。
皆さんは、そんな感覚になった事、ありませんか?
皆さんにも、皆さんをこの世に産み出してくれた『魂の親』が居るんです。だってそうでしょ。
同じ両親から産まれた兄弟姉妹なのに、皆、性格が違うでしょ。
顔形は、両親のDNA だから、似てるけどもやねぇ、皆見事に性格に違いがある。
まぁ性格を産み出した魂の親とでも言うか、
主護霊(前世の自分)が意念を送り、その両親の元に、子として産まれ出て来るんです。
(どんな親であろうと自分が選んで来てるんです)
信じる信じないは勝手ですが(笑)
この世で全部が全部、自分の努力だけで成果が上がってる訳じゃないんだ。と、自分をこの世に産み出してくれた魂の親が、向こうの世界で、
一所懸命自分の為に、動いてくれているんだと、たまには想いを馳せないかんのと違うかなぁ。と、ワシは思います。
感謝の念。
この純粋な念が、また自分を善くしてくれる為に、運命を変えてくれるんだと思えて仕方ないんです。
人生で起こって来た、あらゆる嫌な困難な事が『すべては、今のためにあったこと。』と心底思えたら、
深いところで、心穏やかに、そして心豊かに歩めると思うんだけど。
この心境は、余程精神修行していないと中々その境地には至らないと、思うけど、敢えてそう捉えましょう。というメッセージを贈ります。
人間は4割くらいは、持って生まれた運命が影響して来ると思うんだけど、
6割くらいは自分が何を考え、どう行動したか、が運命を上回って影響して来るんだと思う訳です。
因・縁・果なんです。因とは原因。つまり、何を考え、どう行動したか、が起因となって原因を作ってしまう。
そして、どういう縁と出逢うか、つまり出会い(行動)で、結果が決まって行く。原因が即、結果にはならないと思うんです。
どんな縁に触れるか、どんな人と出会うか、これが大事なんです。
人生は、持って生まれた運命と、自分が何を考え、どう行動するかということが織り成すもんだと思うのです。
やや運命より、自分の行動が多目に影響するように感じるんです。だから、大いなる自業自得なんです。
自分以外の縁ある人達が喜んでくれる行動をしたら、ええのです。
それ以外に、自分の運命を、より善くして行く方法は無いと思うから。
『運命〈 行動』ですよ。だから、自分の運命に嘆くことをせず、
今からの考え方と行動と、付き合う人を選ぶことが、自分の今後の運命を、より善く創って行くと信じて疑いませんワシは。
自惚れず、へこたれずです!