経営者仲間に依頼されて講義をしました。
日頃からワシが思っている当たり前の思想であり、エモーションでの昔からの実践を話しただけなんやけど感激してくれました。
組織(家庭・会社等)の長の立場にある人に、
その組織に居る人達に対する『思いやりの心と行動』が無いと信頼は得られない。これが結論だ!と。
これが人間関係の心理ちゃうかなぁ。
この『思いやりの心と行動』を『仁』と言います。人は、先ず仁が無いと信頼を得られない。
仁なくば信立たず。
誰だって、自分のことをいつも気に掛けてくれていると感じたら、その人に対して、情が湧くもんです。
そして、その思いやりが、行動として現れていれば、信頼を寄せるもんです。ということを講義しました。
理屈で、それは解っても、全社員となると、そう思えない社員も居るんよ。と言う人も居るでしょうが。
だから、人間性を磨き続けて、自分の心を澄ませ、精神性を高めて人間的魅力を増して行くしかないんです。
精進しましょう。
仁の次は『義』が身に付いていること。義は正義であり、勇氣ということ。
また義には『礼義』と『礼儀』の二つの意味があるんです。知ってました?(笑)
通常は礼「儀」と書いている人が多い気がするんですが、本来は礼「義」なんです。
礼儀は、漢字の通り、義礼的な意味。形だけで、本心は伴っていない事が多い。つまり本心からの行為ではない。
本来は、礼義である。本心からの行為が礼義なんです。だから、人の信頼が得られる。
義の次に『智』
智は、単なる知識ではなく、知識が行動として身に付いていることを言うんです。そういう人間が信頼されるんです。
自分に対して、思いやりの心と行動で接してくれない限り、信頼というのは成り立たない。
ということを講義しました。家庭もしかり、会社もしかり、です。
世の中は、信頼関係の成り立たない所に人生の充実は無い!
また、数々の難題困難を克服して歩むのが、本来の人生とワシは思うておるんです。
どうやったら、数々の難題困難を克服して行けるか?を、教えてくれているのが、昔話に存在している。
桃太郎の鬼退治です。
皆さん、この昔話は、どんな意味を教えているか知ってますか?どう捉えていますか?
仁(思いやりの心と行動)を犬で表し、義(正義・勇氣・礼義)を雉(キジ)で表し、
智(知識が行動として身に付いている)を猿で表しています。
この犬と雉と猿を連れて、鬼退治に行く訳ですが、
この仁と義と智の3つを一つに串刺しにしたものが『きび団子』です。それが肝。だから、鬼退治が出来たんです。
鬼とは『貪欲(トンヨク)・瞋(シン)に(圭の字の下に心と書く漢字)・愚痴(グチ)』
つまり、人間の煩悩であり『人生の難題困難』のことです。
貪(トン)とは物質的むさぼりのこと。金銭欲、権利欲、物欲は、物質的むさぼり。
欲(ヨク)とは精神的むさぼりのこと。名誉欲、権力欲は精神的むさぼり。
『瞋に(圭の字の下に心と書く漢字)』の瞋(シン)は、目に角を立てて怒る。という形ある怒りのこと。
に(圭の字の下に心と書く漢字)は、精神的な怒り、義憤等もこれに入ります。
愚とは、物事を正しく見ない精神的愚かさ。痴とは、痴人と言うように、肉体的愚かさ。
人間の煩悩というのは無限の貪(むさぼ)りを持ち怒りを持ち、ものを正しく見ない愚かさを持っている。
これを総称して煩悩と言います。その煩悩の塊を『鬼』と表しています。
犬と雉と猿が、一つに成るから、鬼が退治出来ると説いています。
だから人生の難題困難を克服するものは『きび団子』です。
つまり、あなたが仁と義と智を身に付ける努力をするから、きび団子が出来て来るんです。
それが、あなたの人生の難題困難を克服して行く力に成るんです。
あなたは、きび団子に成っていますか?それなくして、社員の信頼は得れませんよ!と講義させてもらいました。
ワシは何も、煩悩を捨てなさいと言うとるんじゃないんです。
人間は、死ぬまで煩悩を捨てることは出来んのじゃないかと思う訳です。
死んでも煩悩だらけ、煩悩まみれの人も居るでしょうが(笑)
ワシは、煩悩を絶ち切らず、涅槃(ねはん)を得る努力が、自分の心を澄ませて行き、
精神性を高めて、人間的魅力を増して行くんじゃないかと思うとるんです。
涅槃とは仏の心、菩薩の心と、捉えてもらうとイメージできますかねぇ。家庭も同じ。あらゆる会の組織も同じ。
さあ!年の終わりに、自分自身を振り返ってみてはどうですか?