皆さんは『何のために人生を歩んでるんですか?』って、投げ掛けられることは、ほとんど無いでしょう。
日本に、何百万人居る(たぶん560万人くらいかなぁ。上場企業約3600社未上場企業約550~560万社)
社長と言われる立場の人達でも、ほとんど、何のために経営しているんですか?なんて、投げ掛けられる人は居ないと思いますが、
『経営指針』ということに縁のあった社長達は、必ずこういう問い掛けをされます。
経営指針に取り組む時に必ず『あなたは何のために経営していますか?』を
何回も何十回も、問われるし、内観させられます。
(一時期は、とことんストイックに。だけど繊細でもなく、余り繊細過ぎると心が苦痛になるから、余裕を持つ学びが大切ですね。
余裕の心とは、異なりを認める心であり、遊び心がある。という感じかなぁ。)
これを個人に置き換えると『あなたは何のために自分の人生を歩んでいるんですか?』と同じことです。
こう考えると中々難しいでしょ。
中々、余程のことが無い限り、そういう心境に自分から成る人は、
稀有だと思うからなんです。
だからワシは、こう置き換えてみては?と言うてるんです。
ほとんどの人が、お金を稼ぐ為に経済活動をしています。
つまり、お金を稼ぐ為に仕事をしている訳です。
お金を稼ぐ為に、工夫したり悩んだりしている訳です。
だから『何のために』と問われれば『お金を稼ぐ為に仕事をしています。』
なら、皆、理解できるやろうと感じる訳です。
ワシが言いたいのは、お金を稼ぐのは当然のことであり、その稼いだお金を、
何に使うのか?ということを投げ掛けておるんですよ。
お金を稼ぎながら、あなたは、どんな生き方をしたいのか?
どういう人生を歩みたいのか?
を明らかにすることが納得行く人生を歩めるんじゃないの。と言いたいんです。
会社経営者は勿論のこと、経営者じゃない人も
『何のために金儲けの活動をしているのか?そのお金を何に使いたいのか?
どんな人間でありたいのか?自分は、何がしたいのか?』
くらいは、自分の心に聴いてみてほしいと、思うとる訳です。
それが、生きているということじゃないんですか?!と。
また、自分なりの問答に答えを出したら、もう一人の自分に聴いてみるんです。
『お前、そんな生き方で良いのかよ?』って聴いてみるんです。
もっともっと、より深く考え抜いてみるんです。
その心の問答が、納得行く人生を歩めるキッカケに成るんです。
他人に振り回されない人生を歩む勇氣が湧いて来ますから。
『なぜ?なぜならば』が、誰に対しても即答できるようになりますから。
皆さん、自分の中で、なぜ?なぜならば。くらい、ハッキリとした価値観を
備えて下さいね。自分が気持ち楽に歩む為にも。
この『なぜ?なぜならば』をハッキリと価値基準を持とうと勉強せんから、
いつまで経っても、気持ち楽に成らんのとちゃうかなぁ。
経営者の人達は、自分の社員達に、自然と、そういう心境になって行くような導きを考えて実行せな、いかんと思いますよホンマに。
業務だけキチンとやってくれればええんや。では、情けないんちゃう?
自分の金儲けの道具に過ぎないんですか社員は?
と、ワシは突くよ(笑)
社員が自然体で、自分の人生を内観する心に向かうよう、そういう環境を創って行くことを『社風』と言うんです。
そういう社員は、必然的に、会社の業務は、ちゃんとしますから。
キチンとやりますよ。
あぁ、社員の皆さん。
そんな想いで『社風』創りに一所懸命な社長に対して、想いを汲まないのは『罪作り』ですよ、ホンマに。
経営者の仕事は、社員皆が、自分の人生を、何のために金儲けして、その金を何に使いたいのか?
その理由も考える。
そしてそのことを、もう一人の自分に問い掛けさせながら納得度を高めて行くよう導くことです。
そういう『社風』を創って行くことが、お互いが充実して行く人生に向かって行くんじゃないでしょうか。
そういう社長のことを『経営者』と言うんですよ。
だから、そういう想いがあり、実行している経営者が増えてほしいと願って
おるんです。
上に立つ立場の人間がそうならないと、世の中の社員という立場の人達は、
会社は、労働と給料の交換所に『しか』ならないんですよ。
しっかりせないかんのは、やっぱり社長なんです。
そして同時進行として『目に見えない、形になっていない、創造的システムの開発』に取り組むことやという、信念なんですよワシはね。
これは中々、社員には出来ない事ですから。
これこそ、社長の仕事なんです。
だからワシは無い智恵絞って、毎日歩んどるんです。
『人間成長の為の社風創り』と『創造的システムの開発』
この両輪でないと、
人生を有意義に歩めないんじゃないでしょうか。
人は、全員、どういう理由か知らんけど、
指紋が皆、違うと思うんですが、指紋と同じように人生の価値観も微妙に違うと思うんです。
人生の楽しみが違うと思いませんか?
ネット通販が盛んな、この10年20年。
好きな洋服を買うクセのある女性、多いし、健康グッズをしょっちゅう通販で買っている人も多い。
酒やタバコが好きで、何十年と嗜好している人も多いし、
ボートや競馬や麻雀やパチンコ・スロットのようなギャンブルが好きで何十年とやっている人も多い。
また、何でも習い事が好きで、ヨガや料理教室や、お茶や華道や、マナー教室や作品の先生資格や音楽関係や、占い資格等々。
人それぞれに好みがあり、その楽しみの為にお金を使い続けているんじゃないでしょうか。
それを『あの人は、それが好みなんだ。』と認めてあげる心の寛容量や許容量が、自分の人間の幅を拡げ、あなたの心の寛容量や許容量を広く、深く、器を大きくして行くんですよ。
自分が興味関心が無いからと言って、他人の嗜好を批判してはいかんと思うとるんですよワシは、ね。
明らかに認めてあげることをワシは『明(アキ)認(ラ)める』と書いています。
決して『諦(アキラ)め』てはないんです。
異なりを認めて、縁ある人達が、大黒柱(会社なら社長・家庭なら世帯主である家長)の目指す考えに共感して生きている状態を調和と言うんです。
タバコや酒が好き過ぎて長年続けている人はタバコや酒で死んでも本望や、
くらいの気持ち、覚悟は、まぁまぁあるんやと感じます。
突然、医者から、止めないと三ヶ月で死にますよ!と直接言われたら、
自問自答を本氣ですると思いますが、
それも自分の『蒔いた種』何らかの『刈り取り』は、せなならんのやから。
タバコや酒に興味関心の無い人が、自分の好き過ぎて止めれない、
例えば『通販』での買い物。
今から好きな服を一生買ってはいけない。
と言われたら、どう感じますか?苦痛の何者でもないやろう。
嗜好品ということに於いては、同じ事なんですよ。
好きなものや、好きな事を、今から一生止めなさい。と言われたら誰だって嫌やろう。
『蒔いた種は生える』は、宇宙の原理原則やと、ワシは昔から思って来たし、信じ切っていますから。
自分が蒔いた種なんやから、どんなツケが来ても、他人の所為(セイ)にしたら、いかんわなぁ。
やるなら『覚悟』してやったらええのよ。だから、他人が批判せんでええんです。
その人の好きで好きでたまらん嗜好なんやから。
『異なりを認める』まぁ、今風に言えば、『多様なる価値観』 を持つ。
と言うことです。
『明らかに認めて』あげて、あなた自身の心の寛容量や許容量を増やして、
人間としての器を大きくして行く一歩にしませんか!
と言うことを今週は、贈ります。