『無能な上司の下で働く部下ほど哀れな者はない!』
これは、20年くらい前から世間を見てて思っていたことです。
その頃、自分に置き換えて胸に刻んで、常に心に置いて来ました。
『無能な社長の下で働く社員ほど哀れな者はない!』と。
社長の皆さん!
これ胸に刻んで、常に心に置いとかないかんと思いますよ。
最近、何じゃぁ、アホちゃうかと憤りを感じた事が、
コロナの影響で飲食店なんかは家賃補助が出てるのに、
市独自の支援策の家賃補助で、その市内で飲食店を営んでいても、
その飲食店経営者が、個人事業者で、経営者の住民票所在地が市外だったら、家賃補助出ない。
と聞いて他人事ながら、気の毒やないかい!
と思ったんです今週。
これだって、トップの立場に居る市長が、市職員に、通達しとけば、良いんです。
『経営者の住民票所在地が市外であっても、実情は、市内で飲食店を経営しているんやから、家賃補助出してやりなさい。』と。
要は『何の為に』の観点が無いから、全く社会生活を『より良くして行く政治活動』の想いが無い証拠です。
個人事業主の住民票所在地が市内じゃないから、納税していない。
だから、市独自の支援策を税金から支給は出来ない、という論理なんだろうけど、
じゃあ、問う!
市内で飲食店を営んでいるんだから、市内の人達の飲食に貢献しているんやから、という観点や感性が無い。
個人の事業主なんやから、
そこは『大岡越前忠相(オオオカエチゼン・タダスケ)や遠山金四郎(通称遠山の金さん)』ばりの采配をするのが、人の道というもんやと思います。
名奉行と言われた大岡越前も遠山の金さんも
『本来なら打ち首獄門なれど、事情を調べると、さもありなん三年の島流しと処す。』
まぁ、これは時代劇の犯罪者に対しての裁きですが、
これを政治に、経営に応用することって人間社会には必要なんよ。
決まり事は、キチンとするが、運用は人の道に則ってやるべきと、ワシは思うとります。
こういう采配が出来ない、或は思い浮かばないのは、トップに人生哲学が無いんです!
ハッキリ言うて。
お釈迦様は『対機説法(タイキセッポウ)』を為されたと歴史は教えます。
対機、つまり相手に対して、相手が生きるような相応しい言動のことなんです。
無能な人達は、お釈迦様は、人によって違うことを言うている。と思うでしょうが、
相手が『生きる』ことに於いてのみ、考えて話されているんです。
例えば昔の名医というのは、人間洞察力が優れていたと察します。
患者の性格を洞察し、胃癌の患者に、ある患者には、胃潰瘍だと信じ込ませ、
患者自身の自然治癒力を促し、
ある患者には、癌の告知を誠実に直接告げることで覚悟を促し、その患者の自然治癒力に期待を馳せる。
事実より大事なものがあるんです。
人間がより良く生き生きと、歩めるようにして行くことの方がワシは大事だと思って歩んでいます。
だから、人間洞察力を磨きたいと願って、あらゆる事象から学んで来ましたし、現在進行形です。
『万象我師(バンショウワガシ』なんです。
万象つまり、あらゆる現象は、我が師匠なんだ。という捉え方を言うんです。
いいですか、皆さん。大事なことは、捉え方なんです。
どう自分の生き方に生かして行くか、それを習慣化していると哲学が深まりますから。
『要は、どうせないかんか。』の区別が出来るトップや部下が増えてほしいと願うとるんです。
学校の勉強は出来ていたとしても、
人を生かして行くための『区別』が瞬時に出来る人間に成らんと、つまらんのですよ皆さん。
仕事も同じ。
瞬時に相手(お客さん)の心中を察して、その望みを実現してあげる言動が、
大事やと思うんです。
その為には、時にはお客さんに
『こうして下さい。それがお客様の望まれる結果につながると、私達の経験から言えますから。』的な自信に満ちた示唆をしてあげる。
これが誠実さだと思います。
商売を超えた誠実さに相手は、納得と信頼を寄せてくれるもんですよ。
是は是、非は非。
誠実に、キチンと、誘(イザナ)って行くんです。
単なる商売を『超える言動』を社員皆が実践している会社でありたいと、ワシは強く願っているんですね。
感動は、言葉を超えた世界にある!んです。
感動は、商売を超えた世界にある!んです。
『自分の誠実さから出た相手に誠実な想い』から話しているなら、
お客さんは、商売で言っているとは感じませんから。
あなたの言葉に誠実さが無いから、相手は、商売気(ショウバイケ)で、取ってしまうんです。
お座なりな業務が、一番自分の良心をダメにして行くと心得て、
日々の何気ない業務に当たってほしいんですワシは、頼むでぇ~!
要は、こうした方が良い。という区別を瞬時に判断できるお互いでありたいと思った今週でした。