目の前のお客さんと、真摯に向き合う。
料理屋を始め、接客業では当たり前に実践しているはずなのに、
繁盛している店の店員の対応で、真摯さを全く感じない所も割りと多い感じがします。
そこの経営者が、いつも繁盛しているのが、いつしか『当たり前』の感覚になっていて、初心を忘れているから店員指導に心が向いていないんだと感じますね。
プロは、いつも初心。なんやけどねぇ。
また、そんなに繁盛しているとは思えないのに、真摯な対応とは感じられない店も、割りとあるような気がします。これじゃあ尚更、繁盛は遠いでしょう。
心が『そこ』にないんだろうねぇ。
『心、ここに在らざれば、見えども見えず』です。
皆さん、常に心は『ココ』に。ですよ。
商売だけでなく、例えば業者の人が来た時も真摯に向き合う心根が大事やと思うんです。
お客さんには、丁寧に応対しても、業者の人には横柄な態度をしていませんか?
それは、真摯な心じゃないわねぇ。
今の時期、個人宅でも夏に向けて、エアコン掃除する人も多いと思うんですが
(今週ワシも自宅のエアコン掃除してもらいました)
そういう仕事じゃない個人的な事にも、業者の人に真摯な心根で接する。
あなたの人柄、人格が現れるし問われるし、形成されるんですよ。
うちは、メーカー通販という業態ですが、直接お客さんと、面と向かっている訳ではないんですが、
電話の向こうのお客さんに対して真摯に向き合うことを旨として、やっています。
電話応対時の、お客さんの問い合わせがあった物を送る際にも一々
『お電話で、お話させて頂いたものは、このパンフレットの何ページに記載しています』というような感じで、
個別に一つ一つメモを貼り付けたり、ポイントになる説明をメッセージして添えています。
一般的な大量販売している通販会社では出来ないと感じますね。
『めんどくさい』とか『能率が悪い』とか『したいけど、オペレーションが物理的に無理』などを理由にして、
迎合する気持ちがあったり、経営陣に、手間を掛ける考えが無いんだと感じます。
うちがやっている些細な事は『意識さえあれば』誰でも出来る簡単なことです。
他所(よそ)も最初は、やっていたと思うんです。
よく言われる『誰でも出来る事を、誰もがようせんくらい続ける』
これ、中小零細企業の特長なんやけどねぇ。
ここに『運』が味方してくれるんじゃないかなぁ。
エモーションの経営指針書に敢えて『事業目的』というのを明記しているんですが、
事業目的を『適正規模の確立』と言う言葉にしています。
事業目的と言うのは、経営理念つまり、経営の目的を実現する為には
『適正規模の確立』が必要不可欠だという信念が湧いて来たからなんです
20数年前に。
目的である理念を実現する為の『あらゆる適正』とは何ぞや?を考えぬいて、
『社業が心地好く』出来るよう配慮しているから、出来得る業務なんですね、うちは。
あたかも目の前で話しているように、
相手に勘違いが起こらないように、
より理解を深めてもらえるように、
『至れり尽くせり』を心掛けているんです。
事細かく、一つ一つに対個別対応のメモを添える配慮をするようにと、
口酸っぱく社員にしょっちゅう言うているんですよワシは。
ただ言うだけじゃなくて、理由や想いを社員に理解を深めて、納得して業務に当たってほしいからなんです。
自動販売機は、いかんぞぉ。自動販売機つまり、お金を入れると商品が出て来るだけで商売完了。のことです。
注文受けた物を荷造りするだけでは、真摯に業務をやっているとは思えないんです。
うちは、同じ注文商品でも、その時の電話応対によっては、段ボールをお客さんが開けた時、何が最初に目に入るか、このお客さんには、先ずココに目を留めてもらいたい。という想いがあるから、細かい事に神経配って梱包しているんです。これ、案外神経使います。
対個別対応能力を磨き続ける想いと、実践。
これを忘れた時から、お客が減って行くんですよ、皆さん。
商いの『芯』の部分は何百回でも何千回でも同じ事を、しつこく、細かく、
言い続けることが大事なんです。
『繰り返し言う勇氣を持て』です。
言うときますけど、何でもかんでも、しつこく言うとる訳じゃないですよ(笑)
『商いの芯』になる部分を言うとりますから勘違いないように。
エモーションでは2ヶ月に一度『社内学校』を実施していますが、
今週の内容はこういうものでした。
『歳寒始知松栢操』というものです。
何と読むか言います。
歳寒(としさむうして)始知(はじめてしる)
松栢(しょうはくの)操(みさお)です。
今から八百年前の法燈国師(ほっとうこくし)から、
悟りを得た禅坊主が天皇陛下に人間学を指導される『国師』(国家の師匠)という制度が始まりました、昭和天皇陛下の時代まで。
その法燈派禅の禅語なんです。『歳寒始知松栢操』という言葉は。
実は揺るぎないワシの根幹に存在する生き方なんです。
歳寒(としさむうして)つまり、春夏秋冬の中で、寒くなる時期は冬です。
多くの木樹は春夏秋の時期は、華やかな色を見せて、謳歌していますが、
冬になるとその華やかさが失せて来ます。
(多くの華々しい会社や商店は、人々の評価を受けていますが)
しんしんと積もる雪の冬に、地味にして一片の華やかさもなく送っている松栢の緑は、年中変わりなき、その節操(本質)を保っています。
(華々しさは無いけれど地道にコツコツ本筋を歩んでいる会社や、商店は本質を見失わない)
冬の雪下に始めて人々に知られる如く、
厳しい時代になっても本質(操)を見失わない生き方をしています。
そのような生き方を、社業を通して世に問いたいと、歩んでおるんですよ、
うちは。
厳しい状態になって、手のひらを返すような生き方をしている人は多い気がします。
ワシは、厳しい時代になっても、己れの信念を曲げず、己れの真心を保つ生き方を貫きたいねぇ。
厳しくなったからと言って、意に沿わぬ事に迎合していいんですか❓❗
不安になんて、なることなかれ❗
ただひたすらに己れの真心のままに生きよ❗
それで終わるなら、それもまた良し。
枯れて終われるから。決して、腐って終わるんじゃないからです。
人間は、人生を謳歌しやがて枯れて終われるのが本質やと思うのです。
腐っては、いかんのです。
山奥の自然の木樹や、果物は、やがて枯れるんです。人工的な果物は、枯れるのでなく、腐るんですよ。
腐って死にたくはありません。枯れて終わりたい。
最後に、NHK 大河でワシが一番好きな2008年放映の『篤姫』から強く学んだ事の一つ。
篤姫の生母の、我が娘が徳川13代将軍家定公に嫁ぐ際に、送り出した言葉を皆さんにも。
己れの役割を果たせ。
一方を聞いて、沙汰(判断)するな。
考えて、考えて、答えの出ぬ時は、感じたままに生きよ。
✳いやぁ、娘が嫁ぐ際に、こんな言葉を贈る母親は、人間として、
親として、素晴らしいの一言ですね。
そう感じませんか?✨