録画していたテレビを見ていたら、
1970年の三島由紀夫と東大全共闘1000人との討論会の映像が放映されていて、
三島由紀夫は流石やなぁと感じました。
この3月20日から映画封切りされますね。
『東大全共闘VS三島由紀夫』のタイトルだったかな。
東大全共闘の学生達は現在の東大生とは真逆か?
と思える荒々しい暴力行為で世論に訴えている学生やねぇ。
50年前の学生と現在の学生とは人種が違うんじゃないかと思うくらいです。
その東大全共闘の学生は、声を荒げて論争しているのに、
三島由紀夫は、何とも穏やかに話す姿には、感銘しました。
あの市ヶ谷記念館で、割腹自殺を遂げた人物ですよ。
✳ワシは、平成14年に見学に行きましたよ。
当時の防衛庁の井上広報官が案内してくれました。(余談ですが)
三島由紀夫は本当に言葉を大事に、
そして大切にしていた人やったんやなぁと感じましたね。
勉強になりましたし、自身の戒めになりましたね。
で、自分を振り返りました。
自分で言うのも何ですが、コミュニケーション能力は高い方だと、
自他共に認めているというか、認められている方(ほう)だと感じますが、
時折、突然、無意識に荒げた声が出るんですねぇ。
いわゆるヤクザ映画のセリフのように出てしまっている自分がいます。
これは自分の心に荒げた要素が在る証拠ですね。
余程、気性が荒いんだと感じます。
だからでしょうか、相手が誰であっても、あんまり動じない性分なんですねぇ。
まぁ、自分の心には、相当荒っぽい性格が根付いているんやろうなぁと感じますね。
性根がキツいんでしょうねぇ香川湧慈という人間は。
皆さんは、どうでしょうか?
人は誰しも、自分の心に墨(荒らさキツさ、汚れ等)が在るように思います。
だから、墨は消える事は無いと思うので、
その墨の何百、何千倍もの『清らかな水』を注ぐことで、薄まって行きます。
例えば、あなたの心がバケツくらいの大きさだとして、
そのバケツに、自分の心の墨を入れると、黒くなりますが、
そのバケツの水を50mプールに移したとしたら、
見た目は透明な水に見えます。
人生は、清濁合わせ持つ歩みやと感じます。
心の墨を小さくして行く意識と併せて、
その何倍もの清らかな言葉を意識して発することをせないかんなぁと、
三島由紀夫の穏やかな言葉で自分の意志を発している映像を見て感じたという訳です。
皆さん、皆さん自身にも、心の墨が在るでしょう。
荒々しさ、性根のキツさがあるんじゃないでしょうか。
その墨の何百倍、何千倍の清らかな言葉で、その墨を薄めて行く歩みをしませんか。
心の墨を消す意識と、清らかな言葉を発する意識の両方が、大事やと感じます。
言葉は言霊。
ほんまやなぁと感じ、戒めになりましたね。
だから自分の心の奥底に内在する『良心』に向き合うんです。
また他者の心に内在する『良心』に誠実に向き合うんですよ。
人間誰しも、心に墨と良心が内在しているもんです。
墨は生きている限り、消せませんが、それを上回る良心を、発露するしか、
本来の自分らしい生き方は、出来んような気がするんだと、より自覚を深めた次第です。