経済的に儲けている人が、自分の価値観を話しているのを聞くと、
そうだなぁ、と思う人が居れば、
経済で儲ける事よりも人間としての生き方の価値観を話している人の話を聞くと、
そうだなぁ、と思う人も居る。
自分の生きる価値観を確立出来ていない人が振り回されている感ありですね。
右往左往するんです。
人それぞれ価値観が異なるんだから、振り回されてはいけません。
自分の『成功』の定義を持つと、ストレスが溜まらないのに。
自分の『成功』の定義を確り持っていない人が、
他人の『成功』の定義を聞くから、振り回されてしまうんですよ。
自分の『成功』の定義を確り持っていれば、それ(他人の意見)は
参考書に成ります。
自分らしく生きていない人が多いから、
ストレスが溜まるんじゃないでしょうか。
『正しさ』にも人それぞれの価値観があります。
地球規模で言うなら、
イスラム教徒の正しさの基準は、アラーの神の教えです。
キリスト教徒の正しさの基準は、エホバの神の教えです。
じゃあ日本人の正しさの基準は人の道です。
人の道と言っても、
人それぞれに、価値観の違いがあるかも知れません。
人の道=正しさとするならば、
正しさとは何ぞや?
正しいの日本の語源は
『唯、坦々と何々らしい。』と言うことなんです。
淡々というのは、
唯、意味なく時が過ぎて行く様です。
坦々というのは、
責任を持って、自分のやるべき事を、唯コツコツとやっている様を言います。
だから、
唯、坦々とあなたらしく。
唯、坦々と自分らしく歩んだら良いのに、
誰かに迎合したりしていませんか?
何かに迎合したりしていませんか?
やれ、お金だ。
やれ、人だ。
やれ、何々だ。
振り回されてはいけません。
唯、坦々と自分らしく歩みましょう。
それが、あなたに相応しい正しい道だと思うのです。
信念持って歩んでいると言う人がいますが、
そのあなたの信念は、
唯、坦々と自分らしいですか?
今一度、内観してみて下さい。
正しさは、唯、坦々と自分らしく生きている状態だと思うので、
あなたの、その信念、ほんまもんですか?
ほんまもんの信念ならストレスは溜まらないと思うんです。
唯、坦々と経営者らしく。
唯、坦々と政治家らしく。
唯、坦々と医者らしく。
唯、坦々と主婦らしく。
唯、坦々と先輩らしく。
唯、坦々と後輩らしく。
全てに於いて、
唯、坦々とあなたらしく歩む為には、
自分の命の使い方を、自分の良心に照らして考えてみるんですよ。
そして、自覚ができたなら、その自覚を果たす事だけに坦々とやれば良いと思うんです。
命の使い方を『使命』と言うんです。
自分が自覚した使命を唯、坦々とあなたらしく果たして行くのが、
あなたの正しい生き方だと言いたいのです。