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「香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ」令和元年8月16日
想いが世界を変える-エモーション社長のブログ

「香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ」令和元年8月16日

 

『何であの人は、あれだけ世話になっていながら、自分勝手なんかなぁ?』と相談されたので、ワシの一言。

 

 

 

『性根に入ってないからや。』と即答。

 

 

 

人は性根に入()らない限り、覚悟が決まらないというか、覚悟は出来ないんじゃないかと思う訳です。

 

 

 

『性根に入()る』

 

状態ってトコトン窮地にならないと、性根には入らないんじゃないかと感じますね。

 

 

 

いや窮地に陥っているのに、性根に入らない人も多いように感じるんよね。

 

 

 

それは『我』が強過ぎて、自分に関係する周囲の人達の幸福なんて思わない、

 

 

 

自分勝手を通そうと見えてしまう人に多いように感じます。

 

 

 

窮地に陥って、どん底状態と思っていても、自分勝手を通そうとするから人生思うように向いて行かないんですよ。

 

 

 

自分のこと『しか』考えられなくなると、

 

行き詰まるようになっているのが法則のような気がします。

 

 

 

身近な周囲の人達の立場に立てないから、運氣が上向かないんだと思う訳です。

 

 

 

素直さの欠如、感謝の念の欠如です。

 

 

 

以前にもメッセージしましたが、

 

 

 

人間どん底状態の時にどう行動するかが人生の分かれ目になるんだと思えてなりません。

 

 

 

つまり、その人の覚悟を天が観てるとワシは思えるんだよねぇ。

 

 

 

こんな逸話があるんですよ。

 

 

 

三蔵法師と呼ばれた、唐の時代の僧であった玄奘(げんじょう)三蔵が、

 

天竺(現在のインド)に般若心経を持ち帰る志の下、向かっていた途中、

 

病に侵され身体から膿みが出ていた老婆に出逢う。

 

その老婆が、お坊様、どうか私の膿みを口で吸って助けて下され、と頼んだ。

 

三蔵法師は吸って、もし伝染病で死んでしまったら、天竺に行けなくなる。

 

自分には志がある。目的がある。しかし、自分は衆生を助ける僧侶である。

 

(しば)し悩んだ後、その老婆の膿みを口で吸ってあげたのです。

 

 

 

そしたら、みるみる、その老婆が巨大な天女に成って、

 

玄奘よ、そなたの覚悟を見させてもらった。と言い天竺までの長旅を援助した。

 

という話です。

 

 

 

ギリッギリッの状況下に、どう行動するかを問われているということですよ。

 

 

 

『性根に入らない人』ということで先週、

 

ワシの所属30年目になる中小企業家同友会で知り合った友人が、

 

香川さん、今度のメッセージで、計画倒産する人間のことを話して下さいよ。

 

って連絡あったから、ちょっと触れましょうか。()

 

 

 

誰も倒産したくて倒産する社長は居ないと思うんだけど。

 

 

 

まぁ倒産するのは運命と捉える思考を持つと状況が変わって来るかも知れません。

 

 

 

例えば倒産したのは、天が、その仕事はあなたに向いてないのに、

 

意地張ってやらないで違う世界に向いている仕事がある、というメッセージと捉えてみるとか。

 

 

 

世間でよく耳にする、計画倒産っていうのは意図的なものやから、

 

通常の倒産とは意味が違うと思います。

 

 

 

まぁ、それぞれ事情はあるにせよ、

 

 

 

窮地に陥った事業主で保身欲が強い人のやる行為が計画倒産じゃないかなぁ。

 

 

 

この『保身欲』にも、二通りあって社長自身の財産だけを守ろうとするものと、

 

社員の生活を守ろうとするものの違うパターンがあるんですよ。

 

 

 

社長自身の財産だけを守ろうとする保身欲の人は、

 

 

 

人の道なんて考えたことあるんかなぁと思う訳です。

 

 

 

たぶん、おそらく、前者の計画倒産する、社長達の共通している脳の思考回路は、

 

 

 

社員の生活の充実なんて毛頭関心が無い人種かも。

 

 

 

社員は自分の金儲けの道具くらいにしか思っていないんだと感じます。

 

 

 

また社員とも取引関係の域を出ないから、

 

 

 

これだけ利益出したら給料上げてやる的な、思考程度じゃないかなぁ。

 

 

 

まぁそういう人は利益上がっても社員の給料を上げるつもりは無いんだろうけど。

 

 

 

そもそも社員にノルマを課すような社長は、上手く行かないんですよ。

 

 

 

計画倒産された元社員の心境を聞くにつれ、そうだろうなぁと感じますね。

 

 

 

資金繰りに窮して、にっちもさっちも行かなくなり破綻の一途。

 

 

 

保身欲で、社長自身の財産を事前に名義変えした後、計画倒産へ。

 

 

 

金融機関への債務は、まぁ金融機関も商売で貸した訳やし、

 

 

 

仕入業者も商売で卸売した訳やし、

 

 

 

いかん!と思うんなら融資せんかったらええのであって、

 

 

 

いかん!と思うんなら卸売せんかったらええのであって、

 

 

 

お互いの『欲』の為せる悲劇やなぁ。

 

 

 

また、人間洞察力を身に付ける苦労が浅いということです。

 

 

 

斯く言うワシは、売掛している代金が入金になっていなければ、

 

 

 

その会社や商店に次の商品の卸はしません。

 

相手の支払いが滞っても、一回分で済みますから。

 

 

 

お互いに傷口が拡がらないようにね。

 

 

 

世間を見ていたら、まぁまぁ、あるんですよこれが。

 

 

 

支払いの入金がないのに欲出して注文が来たら仕事している会社。

 

 

 

ワシの知っている会社の話ですが、

 

 

 

契約している会社の車のガソリン代や灯油代800万円も未入金。

 

何ヵ月分いや何年分?の請求溜めてるの?と言いたい。

 

 

 

チラシ印刷代400万円の未入金。

 

これも数ヵ月分の請求だと聞いて、そりゃ、金もらってないのに、

 

仕事する方も悪いわなぁ、って言いましたよ。相談に来たから。

 

 

 

相手を、ちゃんとさせる為にも、そういう事したらいかんのです。

 

 

 

倒産して、自己破産して、債務免除になったとしても、

 

 

 

もし、個人でお金を借りている人が居るんなら、生涯掛けてちゃんと返して行くのが人の道です。

 

 

 

それをせえへん人は、死ぬまでに、ちゃんとツケが来ると思うなぁ悲惨な結末が、ね。

 

 

 

原因結果の法則と言われる所以です。

 

 

 

過去から現在までの、自分がやって来た考えと行動が原因として、

 

 

 

現在の状況を作って来たんだという自覚があるのか?無いのか?

 

 

 

自覚があっても性根に入らない人は、始末に終えない人やと感じます。

 

 

 

性根に入ることが運氣向上の起点になるんやと思うんやけどねぇ。

 

 

 

その唯一の道は、自分に関わってくれた人達に対して感謝の念を現すことなんです。

 

 

 

思う、感じるだけじゃダメ。現さないと!

 

 

 

そこに気づかない人は永遠に地獄をどうどう廻りすることになるんですよ。

 

 

 

当の本人は、そんなこと思ってもないから、気づくことは無いんだけどね。

 

 

 

でも人は何がキッカケでスイッチが入るか、分からんからねぇ。

 

 

 

そこに『救い』があるのかも知れんですね。

 

 

 

天は自ら助くる者を助く。です。

 

 

 

やりたい仕事は出来なくなり、やりたくない仕事を食う為にせないかんようになるのも、世の中です。

 

 

 

努力したから叶うもんでもないんです。

 

 

 

愚痴や悪口や文句を言わずに、運を味方につけて行く。

 

 

 

運は愚痴や悪口や文句ばっかり言っている人を嫌うみたいだから。

 

 

 

皆さん、仏になりましょう。

 

 

 

執着から解き放たれた人のことを古来日本では『ほとけ』と呼んでいたようです。

 

 

 

『ほとけ』の語源は、『ほどける』から始まっているんです。

 

 

 

つまり、自分を縛るもの(執着)から放たれた人を『仏』と言う。

 

 

 

チンパンジーやオランウータンを生け捕りにする際の仕掛けに、

 

 

 

木の空洞になっている穴にバナナや木の実を入れておく。

 

 

 

チンパンジーやオランウータンは、獲物を見つけると、穴の中に手を入れて獲物を掴む。

 

 

 

その穴は、ものを掴んで拳を握った時には、

 

それを引っ張りだせない程度の穴の大きさになっている。

 

 

 

手を放せば、スグに逃げられるのに、

 

一度掴んだものを放そうとしない(執着している)から、生け捕りにされてしまう。

 

 

 

チンパンジーやオランウータンと同じことをしていませんか?

 

 

 

その執着は、自ら掴むことから始まる。

 

 

 

その手を放すだけで、自由になれるのに。

 

 

 

『自然体の自由』で歩みませんか。

 

 

 

ワシは『自然体の自由』が一番の生活サイクルにしています。