深みを感じる『人』や『会』がほんまに少ないなぁと思うことが、
まぁまぁあります。
人が一生を通じて、
どのような生き方をすべきかを考えたりせん人が多いのかなぁ?
まぁ、考えていても、深く掘り下げて考えることをせえへんのやろうなぁ、と感じてしまうんです。
人生で起こる「何か」が起きた時に、その判断を誤ることなく、
事に対処する能力を持っていなかったら、
困ると思うんやけどねえ。
自分だけ困るんじゃなく、自分を取り巻く縁深い人達も困るよぉ。
こういう事を、日々深めてゆくことが、より充実した人生の土台となるんですよ。
それをせんから、人として、深みが感じられないんかも知れんですね。
『会』も同じ。
その『会』のトップや幹部の人間的深みが、
影響してしまうんだと感じますね。
『学びごっこ』的な、表面的な会運営に陥っているかも知れんですね。
『人間的深み』を身に付けるには「人間とは何ぞや」を極めることが大事やと思うとるんですが、
人間とは何ぞやを極めるには、神道と仏教を勉強すること。
古来幾多の祖師や聖人が、この道を極める為に身を削って修行して来たんだけど、
現代の社長や幹部が、社会的地位を放り出して「人間とは何ぞや」を極めるという訳にはいかない。
だから神道、禅によって得た人物の「人間とは何ぞや」を、学んでゆく以外に道はないと
思って来たんだけど、
稀に、そういう学びをしたことが無い人で、人間的深みを感じる人も、
おるのよねぇ。
そういう人と接すると『あぁこの人は苦労を工夫に変えて来たんやなぁ』と、感じますねワシは。
ワシは亡き師匠(禅の修行を成した哲学者であり、上代史の歴史学者であり、西ドイツの経済学博士)の人間学を食い入るように学んで来たし、今も進行しているから、
少しは、師匠の人間学が経営に実践されていると感じていますが、
勉強したから、身に付くもんじゃないんだけど、
人生で起こって来た事を、どう捉えて学んで生かして来たか、
神道や禅の人間学を、学んでいるか、ということは、大いに影響がありますね。
人の心の読める苦労人であり、参ったと言わぬ器量人でありたい。
でないと、縁深い人達を助けることが出来んですし、やっぱり人生面白くないからねぇ。
苦労人だから、器量人だから、人生謳歌出来るんですよ、皆さん!
だから、大いに苦労しましょう。
あなたの人生を有意義にして行く為に。