『品格』の感じられない企業が東証一部上場に成っては、いかんと思うんやけどねぇ。
大昔は、東証一部上場企業というのは利益だけでなく、品格が要求されていたように感じているんです。
ある時から、上場基準が、品格の乏しいものに堕ちたように感じてしまう現在の東証一部上場企業の数々。
やっぱり相撲道で言う横綱のような力と品格を兼ね備えた企業だけが、
東証一部上場企業でなければ、いかんと思うんです。
そもそも上場する会社の目的は資金調達やと思うんです。
株を買ってくれる事で何百億、何千億という資金調達が出来る訳で、
借入による資金調達ではないから支払い義務はない金やからねぇ。
借入による資金調達だと、赤字であっても、返済元金は勿論、利息払わなならんしねぇ。
上場して数百億円という返さなくていい多額の資金を活用して、
描いた事業が出来るから面白いし、上場する意味があるんです。
描いた事業をどうしてもやり遂げる為には、
数百人あるいは数千人という社員数と数百億数千億という、潤沢な資金が必要なんだ。
という経営者が上場を目指すべきなんです。
そうなると、常に良い意味のプレッシャーは『常態』になって来ます。
常に株主の眼が気になるもんやし、自浄作用も働くもんです。
恥ずかしくない生き方や仕事のやり方をするもんです。
自然と品格が問われて来るもんです。
なのに、いつからか、かつて品格があった、東証一部上場企業が、
落ちぶれたなぁと感じる企業が増えているんじゃないかと思われて仕方ないんですね。
またベンチャー企業と言われる社長の中で、
利益だけ上げているからとか、中には赤字なのにビジネスモデルが発展性を
感じるからというだけで、
上場する会社が、この20年で増えたなぁと感じるし、上場基準が大昔に比べ下がっている感あり、です。
『品格基準』というものも、上場基準に入れてほしいもんですね。
品格を感じない、上場した社長というのは、
多額の上場益だけを得ることが目的で、自分が事業を継続するんだということは、眼中に有るとは思え無く、
その事業と社員を譲渡している創業社長達も居ると感じます。
全く以て、品性を感じないマネーゲームに陥っている感があります。
事業だけを売却するんならまだ分かるけど、
当然社員も居る訳やから、社員も譲渡してしまうことになっているのが、
ワシは好きじゃないんです。
大昔の一部上場企業の経営者には、人生哲学(人生観・社会観・価値基準の確立)を確り持っていたと感じますね。
またその人生哲学が、幹部社員から末端社員にまで流れていたと感じます。
経営者自身が社員達に『人の道を諭して』いたんですよ。
出光興産出光社主、松下電器幸之助社長、ソニー井深会長、盛田社長、
東芝土光社長、本田技研(ホンダ)本田社長、東洋工業(マツダ)松田社長、
人生哲学、経営哲学が貫かれていたと感じますね。
横綱のような力と品格を備えているなぁと、思える企業だけを東証一部に、
上場さすべきやとホンマに思いますワシはね。
そもそも、組織を考える場合『良いもの』を作ろうと考えるんですが、
『良いもの』の基準がお互いに異なるから、一概に『良いもの』とはこれだ!と言えないんですね。
だから『今、間に合うもの』を作るべきなんです。
人間も社員も、仕事も『間に合うこと』が、大事なんです。
間に合わない人間は、いくら何を言っても、言い訳になるんです。モノに成らんのです。
何ぼ儲けていても、間に合わないんでは、ダメなんです。
また、月末の支払いをちゃんとして残高がスッカラカンになっていたとしても『間に合って』いれば、OKなんです。
他者に迷惑を掛けずに済んでいるんだから。
また教養の高い人ほど理想を追い勝ちなんですが、理想の形態というのは現実には無いものなんですよ。
理想の形態というものは無い。だから、絶えず理想を求めて動くことが大事なんです。
人の修行も、会社組織も、己れの不完全さに自ら鞭打って、完全を追い続ける。
いつの時も、初心に返り一歩一歩進めて行くことが大切なんです。
要するに『いつも、これから』なんです。
人間とは『これからです!』という決意のある間は、前進するもんです。
だから、皆さん!『いつも、これから』『これからです!』と決意しましょう。
本物の人間に成りたいのならね(笑)
そして、東証一部上場企業には、会社としての『お手本』を目指してほしいもんです。
『上場する』とはそういうものやと、ワシは言いたいんですよ。
上場していない会社も『それぞれの立場』で、同じ規模の会社の『お手本』を目指さないかんのです。
だからワシは、日本の零細企業のモデル、つまり『お手本』を、目指しているんです。
何事も『目指す』ということが、人として、組織として、幸福や、
充実した人生の『源』に成るんだ!と皆さんに訴えたいんです。