ワシの人生を導いてくれている(今もあの世の世界から導いてくれている実感ありなんですが)師匠の言葉に、
『無心とは』の項目を説明している学術団体設立趣意書を見つけたんです。
昭和29年のものです。
うちの師匠は昭和3年生まれでしたから26歳にして、こういう深い哲学を述べているのかと感じた次第です。
師匠は昭和23年二十歳の時に水だけで、百日断食を成し遂げ、
禅の修行で最も厳しい臨済禅の修行を完遂した禅坊主で哲学者であり、
歴史学者でした。
師匠が主催する学術団体の第一回目の新聞(A3サイズ)で4ページにも及ぶ内容の中に『無心とは』の項目を見つけました。
こう書かれています。
『無心とは四方八方に氣を配りながら、充分意識を働かせ、
しかも何処にも止まらないことを言い、天地に満ちふさがる様な充実感を
以て、何ものにも囚われず拘(こだわ)らず、さらさらと水の自由に流され行く心を無心と言うのである。そこには、不安も恐怖心もない安心の境である。』と。
これを読んでワシは、気付きました。
気付いたというか、悟ったと言う表現の方が理解してもらいやすいかなぁと感じます。
どういうことかと言うと、
人間の究極の姿やなぁとビビビッと来たんです。
そして、なぜ会社を起業した時から、日本に於ける理想の零細企業を目指して来たのか、を悟ったと言う訳です。
理屈を言えば、理想の零細企業を目指した理由は色々ありますが、
一言で言うならば、
社員全員がこの定義の『無心』の状態で人生を歩める人間に成れるよう導いて行きたい。 という想いで、会社を作ったなぁと言い表せるんですよ、
この師匠の『無心』の定義を読んだら。
それを悟ったという感じでした。
『四方八方に氣を配りながら』というのは、同じ氣を遣うことでも相手の反応によって、 気疲れするんだったらそれは氣を配っているんじゃないんです。
相手に気遣いしても、相手が自分の思うような反応にならなかったとしても、
全然気は疲れない心なんだよね、氣を配っている状態というのはね。
だから、ワシは昔から気は使うな氣は配れ。と言うて来ました。
このメッセージ読んでくれている人の中にもワシが、このことをよう言うてるのを聞いた事あるでしょ?
『充分意識を働かせていて、しかも自分の心は充実感に溢れていて何ものにも囚われず、 拘(こだわ)らず、さらさらと水の流れの如く自由な心の状態』で、人生を歩める社員達に成れるよう導いて行きたいと願っているんですよ。
この『無心』の人間性を身に付けるというのは人間の究極のテーマやと感じるし、当に生涯懸けて値する人間像やなぁと思えるんですワシは。
うちの社員全員と女房とが『無心』で人生を歩める人間性を身に付けるられるよう導いて行ける『人生経営者』を目指す。と志しているんです。
それを身に付ける為に職場や仕事が存在しているんだという意識を更に強めたという訳です。
こういう願い、想いというのは、どこの親でも我が子を思い、子の立派に成長する事のみを願うというごく自然な心情じゃないかと思うんです。
そのことの自覚を深めさせられた『無心の定義』を発見した思いでした。
師匠は26歳にして、このように定義してたのかぁ~って。
そのことを今週、先ず言いたいと思った次第です。
その実践で大事な言動を、って考えたら、やっぱり自分の言動で他者の心が
響くかどうかだと思うのです。
『響く』ということ。
色々な人の話を聞く事がありますが、中々、心に響くことは少ないですねぇ。
何かに本氣で取り組んで来た人の実話で且つ人の道や生き様に粋さを感じるものは、響くなぁ。
その人の話し方じゃないんだよねぇ。
話し方って言うのは、その人のキャラクターによって様々だから。
ワシみたいにエネルギッシュに話すクセの人も居れば、
穏やかに話すクセの人も居ます。
その人の本心、本音、取り組んでいる事への本氣度が充満している人の実話で且つ人の道が感じられるものや、粋さが感じられるものは、
話し方がどうであれ、響くもんです。
あなたの言動は他者の心に響いていますか?
それには、あなたが『響く生き方』を実践してないと、響かんわなぁ。と感じます。
経済活動をしないと、生活はして行けませんが、その経済活動に、人の道が流れているから、またあなたの行為に『粋』を感じるから、心に響くんじゃないかと感じます。
そう考えるとキーワードは『人の道と粋さ』だと言えるなぁと感じた今週でした。